気負いと煮詰まりの時代

昨夜は飲まずに寝たのに寝付きが悪く、5時に目覚ましが鳴っても走れなかった。
7時20分起き。
8時半仕事。

昼、マメミキッチンでドリア食べる。
午後、チーズのせいで軽く胸焼けする。

ツール使用者のOさんから要望をいただく。
こちらが勘違いして作ったものもあったり、できるかなそれ、と不安になる要望もあったりで、気持ちが萎える。
隣席Oさんからは、安心して見てますと言われ、救われた心地がした。

高円寺から自転車で中野坂上へ。
前の職場仲間との、恒例となった平田屋飲み。

Tさんとさかもっちゃん、先に来て飲んでいた。

最近の仕事はどんな感じかを話す。
遅れてコンドウくん来る。
誕生日プレゼントに、コインが回る貯金箱と札束メモを渡す。

仕事の話から人生の話になった。
最近、人と会う度に、人生の話を聞いたり話したりしている。

仕事には、賞味期限があり、働いているうちに面白さを感じるのが難しくなってくる。
コンドウくんは、
「今まで働いたところでは一番いいです」
と言いつつ、
「でもやめます」
と言っていた。

人生の話をすると、マグネシウムリボンのことを考えないわけにはいかない。
昨年の春くらいから、ずっと考えている。
きっかけはマグネシウム不足で10年以上前の作品を再演したことだろう。

集団には寿命がある。
マグにもそれはあり、今のマグは旗揚げ時のマグとは別の団体だ。
しかし、今のマグと旗揚げ時のマグの間に、解散はなかった。
元々劇団ではなく、代表がオレ一人だったため、選択肢として思いつかなかったのだ。

一人で始めたといっても、実際は大学の後輩や友人達と一緒に始めたといっていい。
だから、彼らが別の団体を旗揚げしたり、演劇から離れるようになったりした2000年代前半が、マグを続けるかやめるかで躊躇した最初となる。
やめなかったのは、たまたま胸をえぐられるような体験をしたからだ。
一人でいるのがしんどく、誰かと会っていたかった。
人と会う機会は逃さず活用し、毎日誰かと会っていた。
そんな状態だったから、マグを続けることを、運命に対する復讐のように感じていた。
芝居を続けることで復活しないといけないんだオレは、と、気負っていた。

気負っている間は、闇の高揚感に始終酔っ払っているようだった。
落ち着くまでに二年を要した。
酔いから醒めると倦怠感があり、それは落ち着きとは程遠いものだった。
おそらくその頃、煮詰まっていたのだ。
打開するために選んだ方法もまた、芝居だった。
それ以外の選択肢を思いつけなくなっていた。

過ぎ去ってみると、煮詰まろうと煮詰まるまいと、大きな違いはなかったんじゃないかと思う。
煮詰まっていたのは芝居だけじゃなく、生活全般だった。
ただ、信頼のおける人間関係がひとつあり、それだけをよすがにして生きていた。
人生の意味がそこにあった。

さかもっちゃんは、一緒に働いていた頃に比べると少し太っていたが、あの頃よりも明るくなっているような気がした。
出てきた食べ物を口に入れて、
「うまい!」
といちいち嘆声をあげていた。

美味いものを食べて「美味い」と言えるのは、悪い状態ではないのだ。
それは食べ物に限らず、五感に訴えてくる事象すべてに対し反応ができるということが、健康である証なのだ。

11時前に店を出る。
平田屋の店員さんはみんな親切だ。

帰宅し、Tさんからもらったマンゴーを冷蔵庫に入れる。