「舞台裏の殺人」を読んでいるが、90ページを越しても一向に事件が起こらずいらいらしている。
タイトルに「殺人」という文字を銘打っている以上、いずれ事件は起きるわけだから、じらされるのは不愉快だ。
翻訳がいけないのか、文も読みづらい。
はずれ。
だが、本自体はどこかでかっぱらってきたやつなので文句は言えない。
昨日ビデオで「ファーゴ」を観たために、映画を観たい欲が久しぶりに高まっている。
自分の場合3年周期で訪れるのだ。
そして一日3本みたいなノルマを課し、映画のビデオを観まくるという日々が大体4ヶ月ほど続き、その貯金で3年ほど過ごすわけ。
たぶん前回(2000年の今頃)の貯金が切れてきたのだろう。
稽古前に新中野の「大勝軒」でつけそば大盛りを食らう。
昨年12月に「特盛り」を頼んだ店だ。あの時は本当に参った。「麺死」するかと思った。
中野の丸井隣にある「大勝軒」が最近ぱっとしない代わりに、新中野のこの店は着実に客を増やしているようだ。
いつも店にいるおっさんは、たれの濃さに妥協しないので、つけそば派には嬉しい限りだ。
でも、特盛りはもう勘弁。
あれじゃ新日本プロレスの合宿所並みだ。
死んでしまう。
6時から南中野で稽古。
「すまないけど、僕は走ってくるからね」
と言い残し、20分ほど慣れたコースを走る。
久しぶりのマラソンのせいだろう。やたらに汗が出た。
体がどのくらいなまっているのかは、走ってみればすぐにわかる。
危ねえ危ねえ。
マラソンから戻ると望月が見学に来ていた。
すぐに読み稽古から始める。
役名が数字なので、つまり別役実さんみたいに「1」「2」という風になっているので、テキストそのものに感情移入しづらい反面、自由度は大幅に増す。
そのあたりを読み違えると痛い目に遭うということだ。
下克上3人娘はそれぞれが個性的で、ちょっと動いてみても思わぬ反応が返ってきたりして、まことに面白い。
柴崎さんは作演出を担当しているためだろうか、どこか腹が据わっているところがある。責任感と矜持のなせるわざだろう。
島根さんは無邪気で明るい女の子とみせかけつつ、そのキャラクター成分には少なからぬ毒がある。
鈴木さんはなんでもない台詞の中に、「大丈夫か?」と人に言わせるだけのあやうさを忍ばせる。
稽古の合間合間に彼女たちにインタビューするが、大上段に構えた演劇観を持たないのは聞かなくてもわかった。
むしろそれこそが「強み」になっている。
俺自身にフィードバックするとしたら、こんな台詞が導き出せるかもしれん。
「能書きはいらん」
でも、その導き出し方こそ、能書きだなあ。
折衷案というわけじゃないが、彼女らには「能書き」を少しずつ与え、俺は「能書き」を少しずつ減らしていく。
そうすればフィフティーフィフティーだ。誰も損をしない。
貯金も出来る。
稽古は結構みっちり行った。
わずかなシーンだが、2パターン出来たので、上出来だろう。
もっと色々出来そうな気配が濃厚。