体幹体感

東京大空襲から63年。
もうそんなに経ってしまったのかと思う。
現在63歳以下の人々は、空襲を体験していないということになる。
戦禍の記憶は薄れ、そのことを憂う人々は年老いた。
あと20年したらどうなるのだろう。

現在デリケートなことになっている日中関係を頭の片隅に置きつつ、『周恩来?不倒翁波乱の生涯』読む。
著者はディック・ウィルソン。
イギリス人ジャーナリスト。

周恩来は学生時代、よく舞台で役者をやっていたそうだ。
女形が多かったらしい。

国際政治の場は<舞台劇>であるが、我が国の政治家はそういう場面において、おのれが<役者>なのだという意識に乏しい。
だから下手だ。
蜷川さんとかに演出してもらえばよいのに。

周恩来はのちに<名優>として、数々の外交名場面に登場したが、その素地は学生時代の舞台経験に培われたのかもしれない。

横山剣『マイ・スタンダード』読了。
矢沢永吉の『成りあがり』に対して、自身の本は『思い上がり』であるという謙遜が非常におもしろい。
啓蒙臭を極力廃して、軽めのトーンで信念を語る姿勢には、真似のできない格好良さがあった。

昼、鼻水とくしゃみ止まらず。

夕方実家へ。

父がこのたび、勤めていた会社を辞めることになった。
「こんな会社やめてやらあ!」
というロックンロールな理由からではなく、40年勤め上げての退職というので、まずはめでたい。

8時半からジョギング。
いつもの10キロコース。

先日、下北で<体幹ランニング>のパンフレットを読んだ。
無理なく走れる方法論として納得いくものだった。
その後ネットで色々調べ、知識で頭でっかちになったところで、今日は実践してみた。

腕の振りや重心移動以前に、体が一つの<幹>である感覚を意識した。
手足はそこから生えている。
手足を動かす感覚は、竹馬に乗っている時のそれに似ていると感じたが、正しいのかどうかわからなかった。

割に早めのペースで走る。
しかし、体幹を意識する前から走れるペースだった。
崩れることを心配するほど、できたフォームで走っていたわけじゃないから、軽く頭の片隅に置いておくくらいで良い方法論かもしれない。