分裂ともがきと面白み

午前中仕事。

アシスタントさんもずいぶん仕事に慣れ、おかげで手動のデータインポート作業はほとんど任せきりになっている。
空いた時間に自分がすることは、入力環境を良くする工夫だとか、複数名が使っても壊れない工夫だとか、そういったものだ。
つまり<開発>のウエイトが以前に増して高くなっているのだ。

6月に引き継いだ時は無我夢中だったので、とにかく後から後から発生するトラブルと要望を「ぷよぷよ」でもやる如く片っ端から消していった。
が、システムが落ち着いてくると、暫定的に自分が書いたコードの汚さに赤面したりする。
それだけならまだいいのだが、ある仕事を頼まれた時に、自分のコードの汚さゆえにえらく時間がかかったりすることが時々ある。
時間がかかるだけならいいが、間違いを犯したら問題だ。

年が明けたら、色々<きれいに>しないとなあと思う。

午前中で退社し、12時40分小屋入り。
コンビニで海老カツサンド買う。
昨日の昼から海老三昧だ。

2時ソワレ開演。
少しずつお客さんの数が増えているように思う。
増えたからといってドッと受けるのかといえばそうではなく、しーんとしたまま芝居が進むなんてことの方が多い。

稽古中、演出コバヤシ君はコメディということにこだわっていた。
だが、俺としてはコメディ以外の面白さに惹かれて出演したという経緯がある。
この意識の差はなんなのだろう?

コメディが好きな小林君は十数年前と変わらない。
だが彼の書く台本は変わっている。
今回の作品は、内容そのものよりも二転三転するプロットをお客さんに味わわせる趣がある。
(昔の、良い時のショーマみたいだよなあ)
と稽古中思ったものだ。
だが劇構造はお客さんにある種の緊張を強いるもので、特にいちげんさんは展開のめまぐるしさに翻弄され、笑う間もなく終わってしまうだろう。

小林君の演出には、
(俺はコメディをやりたいのに、なんでこういう台本を書いたんだろう?)
という戸惑いの影を感じる。
笑いが好きな彼は十数年変わっていないのに、作者の彼は変わっており、演出の彼が苦しんでいる。

そのように見えることが、俺としては大変興味深く、また面白いところだった。
作品の面白さとは関係ないかもしれないが。

だがこの作品をコメディにしようとする演出的(また役者的)努力は、サスペンスとコメディの中間にある形容しがたい味をこの作品に与えている。
この味を出し続けるには小林君がこれから先も、
(俺はコメディをやりたいのに、なんでこういう台本を書いたんだろう?)
と戸惑い続けることが必要かもしれない。

だから俺としては、笑いがこない状況は極めて自然だった。
ゲラゲラ笑いっぱなしという人は、イルカ団の作品を知悉している人だろう。

マチネ、知恵ちゃんと畑中君となっつが来てくれた。
(うん、うん、そうだよねえ)
などと神妙な会話をするが、近況報告であったから、神妙になる必要はなかった。
年末のせいか?

7時ソワレ。
清水、榊原来る。
「いつ出てくるのかと思ったよ」
とのこと。
序盤50分出てこないからだろうか。

しのちゃん、10月に見に来てくれた時と同じ友人を連れて来てくれた。
前回、気に入ってもらえたらしい。
とても嬉しい。
「来年は本丸で(マグネシウムリボンで)戦いますから、その時もぜひ」
と挨拶する。

10時過ぎ帰宅。
10ステージ中6ステージ終了。
舞台空間が肌になじんできたので、暗闇待機はそろそろ必要ないかもしれない。