とくぎを身につけた

雨があがり秋晴れと思いきや、台風が近づきつつある。
そいつが週末に日本のあちこちで悪さをするらしい。
だから今週末も釣りに行けない。

『ねじまき鳥クロニクル』1巻、徐々に読むペースを上げる。
極めて大ざっぱに言えば、主人公の男が大切なものを失い、頑張って取り返す話だ。
男の周りには、大切なものを失った他の登場人物達がいて、話の支流を形成している。
失った人達だらけの話とも定義できる。

初めて読んだのは20代の頃だったので、失うということを知識としてしか理解していなかった。
30代になって読み返した時初めて、痛みの部分において共感を覚えたのだが、ウェットな感情も交じっていたと思う。
数年前からは心理的に距離ができ、登場人物に起こるエピソードを客観的に読めるようになってきた。

もし何かが失われるのなら、それは必ず最良のものであり、誰かが去っていくなら、最愛の人である。
失うということの本質はそれであると思う。
そして人生において失うということは絶対に避けられない。
翌日もあればラッキー。

夕方、会議室にて同僚の女性達から、
「ブログ見てますよ。料理おいしそうですね」
と言われる。
「みんな会社のPCで読んでますよ」
とのこと。

それはつまり、昼休みに世迷い言をブログに書き散らし、鼻歌交じりに席に戻った俺の背中を、
(ブログ更新男だ)
(昨日もインスタントラーメンらしい)
(この数日食生活が乱れてる)
(もしや昼の弁当が主たる栄養源?)
などと思いながらチラ見する人がオフィスに幾人かいることを意味する。

背中に「ブログはじめました」と書かれた大きな紙を張られて気づかずに歩いているような恥ずかしさがある。
背中に「冷やし中華はじめました」と書かれた大きな紙を貼られて気づかずにチャーハンなんぞ作ってるラーメン屋の大将はさぞや恥ずかしかろう?

読み手に語りかけるような文体であれば、そうした恥ずかしさは感じないだろう。
けれども読み手に語りかけるような文体を書く恥ずかしさの方が自分には耐えられないので、仕方ないともいえる。

夕方、歯医者に行く。
本当は4月に行かなければならなかったのだが、芝居の準備などで忙しく、時間がとれなかった。

1年ぶりの歯医者は、羽生善治似の担当の先生が若干お太りになり、カリオストロ伯爵そっくりになっていた以外は変わっていなかった。
左下の歯をレントゲンで撮ってもらったところ、表面ではなく中がやられているとのことだった。
応急処置をし、次回治療をすることに。
来週はマラソンなので、再来週に予約をした。

帰りに水道橋の立ちそば「とんがらし」に寄り、盛り合わせ天丼食べる。
おじちゃんとおばちゃんのまっとうな会話が楽しい。
注文をしっかり聞くおばちゃん。
注文を聞いてから天ぷらを揚げるおじちゃん。
昼でも夜でも、忙しくても暇でも、一生懸命だ。
本当にマジメなお二人だなあと思う。
市原悦子と常田富士男にアテレコをしてもらえば、そのまま日本昔ばなしになる。
立ちそばだから味は普通だけど、揚げたての天ぷらを丼に山のように盛ってくれる。
この店にたまに行きたくなるのは、550円という安さもあるが、お二人を見に行くという楽しみもあるのだ。

西友で買い物をし、8時帰宅。

生牡蠣を肴にビールを飲み、久々に『オネアミスの翼』を見る。
牡蠣を数個食べた後、パッケージを見て加熱用だったことに気づいた。
トイレで指を喉の奥に突っ込んで吐いた。
自分の意志で吐いたのは、生まれて初めてである。
(吐こうと思えば吐けるもんだなあ)
そう思った。

つかもとは レベル2に なった!
とくぎ ゲロはき を身につけた!

汚いわい。

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