材料とスープと言葉

昨日観た芝居の話。
宇宙キャンパスの芝居を観た。
知恵ちゃんが客演。

主役の健吾くんは、金と時間と女にだらしない男を演じていた。
彼の引越しを、彼女や先輩が手伝うというのが、舞台の設定。
千恵ちゃんの役は幼なじみ。
健吾くんは、嫌な男を、より嫌な男にするように役作りしていた。
「嫌な男を演じなさい」
という課題に対する答えなのだとすれば、真面目にこなしていたと思うが、本来なら<ムカつくけど憎めない奴>を、台詞を変えずに作るべきだったと思う。
でないと、皆が引越しを手伝っている姿がマヌケに見えてしまう。

千恵ちゃんは透明感のあるキャラクターに加え、情感のこもった芝居を見せていた。

本日は台本書きに邁進するための休日であったが、実際は材料集めの本読みに費やした。
なかなか読み進められず、気分はぱっとしなかった。
気晴らしにYoutubeで、ピエール瀧の体操を観たりして、夕方まで過ごした。

夜、那須とピーマンと筍とにんじんと牛肉で、中華炒めを作って食べた。

台本は冒頭シーンを書いた。
その先は進めていない。
いきなり書き進むより、材料を集めてから書いた方が、結果的に早く書ける。

材料を集めるとは、閲覧可能な状態で手元に置くことではない。
すべて読んで、頭の中に入れることをいう。
そして、芝居の中の生活者としてそれらの言葉を処理し、台詞の形で吐き出す。

材料が多いほど、スープは濃くなる。
だが、同じ種類の材料ばかり集めても、味が決まらない。
たとえば今回は魔女の話を書いているが、魔女に関連する本ばかり読んでもだめだ。
論文を書くわけではないのだ。
魔女つながりで、魔女狩りの本。
魔女狩りつながりで、カルト宗教の本。
あるいは薬草つながりで、ハーブの本。
段々と魔女から遠ざかるように、本を読んでいく。

あるいは、映画を観たり音楽を聞いたり。
お化けが出そうな不気味なスポットに行ってみたり。
家にある香辛料の臭いを嗅いでみたり。
雑貨屋でほうきを物色してみたり。
猫と会話をしてみたり。

それらをすべて、材料を集めているのだという意識で行うと、頭の中のスープがいい味になっていく。
味見のために、ちょっと書いてみる。
スープが出来上がっていれば、言葉が出てくる。