『太一人』稽古始まる

7時半起き。
冷凍ピザを温めて食べる。

先週の木曜と金曜は午後に早退したのだが、その分の仕事はそれほど残っていなかった。
とはいえ忙しいことに変わりなく、この先どうなってしまうのか不安を覚える。

昼、飯田橋大勝軒でラーメン。
4分の3ほど食べたところで大量の汗が出る。

夕方6時まで仕事。

6時半過ぎに駒沢大学そばの稽古場へ。
『太一人』稽古初日。
稽古場の建物がよくわからなかった。
世田谷の稽古場は、行ったことのないところだと、迷うことが多い。
イルカ団の時もそうだった。

制作の森さんが来ていた。
あわただしく上着を脱ぎ、印刷したテキストを太一に渡し、読んでもらう。

自分の中にある役者としての太一像は、彼が二十代前半の頃のまま止まっている。
その後どういう経験を経て、今はどうであるのか、観る体験を通しては知っていない。
そのことが台本を書くにあたって、わずかなためらいの要因になっている。

今回の芝居は、道に迷った人間が行くべき方向を見いだすまでを表現するのだが、道に迷うという部分が人生と重なりあうと思っている。
だから、太一の人生が知りたかった。

稽古の合間合間に、雑談しながら色々な話を聞き、ノートにキーワードを書き込む。
太一は聞かれるまま答えてくれたが、話がどこへ転がっているかわからず、不安ではなかったろうか。

考えてみれば、養成所で一緒だった20代の時も、お互いの身の上話のようなことは殆どしなかった。
若かったので、過去にあまり重みを感じていなかったし、その時点での現在を生き抜くのに必死だったということもある。

制作の森さんは大学の後輩で、学年は三つ下だ。
彼女が学生時代に役者デビューした作品は、北村想の『寿歌』だった。
その作品を演出したのが、自分が1年の時に部長だった土居さん。
土居さんはその後プロジェクト・ナビに入団し、解散後も名古屋で演劇活動をしている。
『その人ではありません』の演出、菊本さんは、名古屋の人なのだが、土居さんのことはよく知っていると言っていた。
養成所に入って最初にやる自主公演で、自分がチームを組んだのが太一。
その時の演目は『寿歌』だった。
今日集まった三人で、そのまま『寿歌』が出来るなあと思った。
縁は色々だが、年を重ねると、その結びつきはより複雑になる。

10時前に稽古終了。
太一は自転車で、森さんはスクーターで来ていた。
一人電車に乗り、渋谷周りで帰った。
中央線沿線の人間にとって、東急沿線の稽古場は、直線距離の短さの割に行きにくいのだ。

買い物をして、11時帰宅。
ピーナッツをかじり、カナディアンクラブをちびちび飲む。
本番が終わると必ずといっていいほどウイスキーを買って飲んでいる。
ウイスキーを飲むことが、何かが終わった時に、そのことを自分に確認する儀式となっているのかもしれない。