『深呼吸する惑星』観劇

朝、ゼリー飲料で朝食を済ませる。
バタバタしていて、パンを焼く暇がなかった。

昨日、派遣の女の子が近々やめるという話を知った。
仕事が特定の人に集中する傾向がちかごろ顕著で、人員を増やす増やさないの話が関係しているらしかった。
ただでさえ忙しいのに、仕事が出来る人がやめることを引き留めるシステムができていないのは、残念なことだと思う。
ただ話を聞いてあげる時間を設けるだけでも、風通しは大分良くなると思うのだが。

昼、コンビニでサラダとどん兵衛。

夕方、6時に仕事を終え、新宿へ。
桂花ラーメンで夕食を食べ、紀伊国屋ホールへ。
第三舞台解散公演『深呼吸する惑星』を観るためだ。

劇場ロビーで、知り合いを発見。
『顔と名前』で制作をやってくれた山田さんだ。
ヘルプできているのだろう。
挨拶すると、
「マグの忘年会、メールの返事遅れたんですけど、行かせてください」
と言われる。
ぜひ来てくださいと答える。

ロビー入り口付近には鴻上さんが立っていて、お客さんの入ったロビーという空間に、自分の存在をなじませていた。
外国の家で、暖炉のそばに座って客人を眺める、賢い老犬のようだった。

席はL列のほぼ真ん中だった。
舞台から近いわけではないが、真ん中というところが嬉しい。
開演時間までパンフレットを眺める。

さすが第三舞台と思ったのは、挟まれているパンフレットに、つまらなそうな芝居のものが一つもなかったことだ。
古田新太さん主演の『ロッキーホラーショー』のチラシが、縦の二つ折りに、メイクをした古田さんの全身をあしらったもので、大変格好良かった。

鴻上さんの声らしき前説アナウンスが流れ、少しして開演。
緞帳が上がり、「ビハインド・ザ・マスク」が流れる。
昔の第三舞台を彷彿させるオープニングだった。

地球から離れた、とある惑星が舞台。
その星を訪れた地球人は、あることが原因で、自分の記憶が作り出した幻覚を見てしまうという設定。

物語は静かに淡々と進んでいった。
だがそれは、過去の第三舞台のような激しさを無意識に求めていたために感じた静かさだったのかもしれない。

中盤から後半にかけてぐっと面白くなる。
池田成志、伊藤正宏がビデオで出演し、長野里美の着ぐるみシーンもあった。
昔から見ているファンへのサービスシーンだが、長さは適度だったと思う。

ラストで、筧さんが死んだ友達の幻と抱き合うところが、とても良かった。
死者に生かされて今の自分があり、それゆえに負い目もある。
第三舞台初期の看板俳優であり、交通事故で世を去った岩谷真哉さんのことが、ちらりと頭をよぎる。
超人気劇団として時代を駆け抜けた80年代から90年代、鴻上さんもひょっとすると、負い目に似た感情を抱いたことがあったのだろうか。

ラストの抱擁は、そうしたことすべてを氷解させるような優しい抱擁であり、演出だった。
人が人を抱擁するだけで、優しさを表現する。
そこに到達するまでに、30年かかったと考えると、今回の作品が解散公演であることの意味合いが深まる。

いい芝居だった。
久しぶりに芝居を見て目頭が熱くなった。

10時帰宅。

ヘミングウェイ短編集『われらの時代・男だけの世界』読了。
「二つの心臓のある大きな川」は昔から好きだったが、読むのが三回目となる今回は、その他の短編の魅力に気づいた。
どれも、読んでいて、脳内に映像が浮かぶ。それも鮮明に。
そして、人々の息づくさまが感じ取れる。
ヘミングウェイだからなのか、アメリカ文学だからなのか、短編だからなのか。
ともあれ、アメリカ文学というところで絞って、色々読んでみたくなった。