ナウシカとハウル

 昨日の寒さはなんだったのだろう。
 うなじに風を受け続けたことが原因なのか。
 いずれにせよ、一日中寒がっていた。
 昼寝を4時間もしてしまったし。

 もっともおかげで今朝は10時に起きた。
 カレーを食べてから図書館に行き、帰りに牡蠣を買う。

 「市川雷蔵とその世界」読了。
 大映で雷蔵と仕事をしたことのあるスタッフ、役者にインタビューをし、それをまとめたもの。
 1993年に出版された本だから、90年代初頭の雷蔵ブームに乗っかったものらしい。
 勝新太郎のインタビューが面白かった。

 夕方4時に夕食。
 昨日以来、時間の観念がどうかしてる。
 寒気は治まらないが、風邪の兆しはないようだ。
 はまぐりのだし汁に、豆腐、ネギ、きのこ、牡蠣を入れて食べる。

 映画「風の谷のナウシカ」を久し振りに全部見た。
 高校三年生の時にテレビでやったのを見て、あまりの面白さにマンガ版を買い求めたら、マンガ版の方がさらに面白かった。
 当時はまだ4巻までしか出ておらず、最終巻が出たのはそれから7年後だった。
 映画は、マンガの連載が1年と少し経った頃に作られたので、人物設定や結末などに大幅な省略がある。
 マンガ版のファンはそのあたりが不満だ。

 今回見直して、マンガ版にあるが、見事に砂糖菓子にくるまれていると感じた。
 マンガ版のナウシカは難解で、終わり方は決してすっきりしているとは言えず、それは「もののけ姫」のラストに通ずるところがある。

 映画版の「ナウシカ」は、ナウシカを聖女化し、ジャンヌ・ダルク的な行為をさせている。
 さらに、王蟲と心を開き合うシーンをラストに置き、宗教的カタルシスに満ちた効果をあげている。
 だが、こういったことを描くのが本意ではなかったというのは、マンガ版ナウシカの2巻以降を読めばわかる。

 テーマを砂糖菓子にくるむということで、映画版の「ナウシカ」は多くの支持者を得た。
 「ハウルの動く城」に同様の手法を用いなかったのは、宮崎監督の年齢のせいもあるのではないか?
 死ぬまでにあとどれだけの作品を作れるかわからない。
 答えは出ない。
 だから作りたいものを作る。
 それゆえ、謎は謎として残したままのエンディングにしたのではないか。
 話自体、老人を扱っているという点でも意味深だ。

 映画でも演劇でも、エンターテイメントはだ。
 客のやを慮ると、左翼的啓蒙的な作品になってしまう。
 かといって誰もが甘いものばかり作っていたら、観客は虫歯だらけのデブになってしまう。
 作者の年齢と経験がある奇跡的な一点で合致した時、甘くて栄養があり虫歯になりにくい作品ができるのだと思う。

 テレビの視聴率主義は、甘いものや高カロリーのもので売り上げを伸ばし、顧客の健康は無視するという主義になる。
 市川雷三がいた大映の永田雅一社長は、何本かに一本はを作るべきだと考えていたという。
 「娯楽ばかりやと、客がバカになってくんのや」
 非常にうなずける言葉だ。

 が、作り手は見る人にそのことを感じさせてはいけないとも思う。
 啓蒙の匂いは、作品のテーマから、客の目をそらせてしまうからだ。
 誰だって、
 「金払って説教されたくはない」

 これは、逆のことも言える。
 エンターテイメントに徹したと称する作品を見る時に、
 「ほーら甘いものですよ、あーんして」
 という空気を感じると、もうダメだ。
 それはもう、エンターテイメントではない。

 定義するのは本当に難しい。
 が、曖昧な言葉が許されるなら、やではなく、を見せるのがエンターテイメントなのだと思う。
 そして、だけでは何のことだかわからない。
 しっかりしたで骨組みを作り、的にテーマを絞り込み、でもってそれを見せること。
 それがたぶん、最高のエンターテイメントだ。
 少なくとも自分にとっては。