心の構造

朝、7時半起き。
卵焼き、めざし、キムチ、納豆で朝ご飯を食べる。
めざしがあると、朝ご飯が楽しみになる。
そういうメニューは他にもある。
焼きたらこ、明太子、キュウリ、なす、白菜の漬け物、ネギを混ぜた納豆、鰹節をかけた大根おろし、あさり、しじみの味噌汁、きんぴらごぼう、シラス、小女子、ちりめんじゃこ、未開封ののりたま、カレイの煮付け…

午前中、どういうわけか神経が高ぶっていた。
イライラと紙一重だった。
昨日酒を飲まなかったからというわけでもあるまい。
色々考えたことが頭に詰まって、未整理のまま溢れそうになっているからだろう。

昼、久しぶりにフラミンゴへ。
ミートソースを食べる。
普通盛りでも相当な量があるので、腹が減っている時ほど注文には気をつけないといけない。
以前、空腹なのをいいことに特盛りを頼んで、涙目になったことがある。

午後、少しずつ気持ちを落ち着かせながら、心の構造について考える。
人の心は、巨大なズタ袋のようなものではないか。
よく使うものは上の方にあり、現実と呼応して取り出される。
底の方にあるものは、よほどのことがなければ取り出されることはない。
深すぎて、取ろうとしても手が届かない。
しかし、ひどく混乱して、袋が大きく揺すぶられた時など、中身が攪拌されて底の方にあったものが上がってくることがある。
取り出してみると、それは現実に不似合いな、おどろおどろしく不条理な感情だったりする。
なぜ自分の中にそのようなものがあるのかわからなくなり、怯えながらそれを袋の中にしまい込む。
よくしたもので、放っておくと使わないものは底の方へ移動するようになっている。
そのおどろおどろしいものも、心が落ち着いてくれば再びズタ袋の底へ沈殿し、再び揺り動かされる時までじっとしている。

悪夢は、たぶん、心のズタ袋がなにかの拍子で傾いて、おどろおどろしいものが外に出てきてしまい、自分自身を怯えさせることで作られるのだろう。
悪夢に限らず、恐怖というものはすべて、そうやって自分自身が作り出していくものなのかもしれない。

夕方、ドラッグストアでグルコサミンのサプリメントを買う。
関節ケアのため。

7時過ぎ帰宅。
朝とほぼ同じメニューでご飯を食べる。
週末までランニングは中止。
無理して関節痛をひどくしても仕方ない。
酒を抜いて万全の調子になってから、昼に長い長い距離を走ればいい。

今日も酒を飲まず。