シブがき隊の歌詞

落合博満『采配』読む。
野球についての考え方を無理矢理ビジネスシーンに当てはめようとしたもの。
急ごしらえの感は否めない。

ぼんやり考え事をしていたら、シブがき隊のことが思い浮かんだ。
気になって歌詞を検索する。
性欲が妄想に留まらず爆発している歌詞ばかりだった。

一番強烈なのはデビュー曲の「NAI-NAI-16」だ。
歌に出てくる女の子は、靴箱にラブレターを入れ、キスの後に涙をこぼす。
そのくせ、Tシャツは波に濡れて透け透けで、男をムラムラさせておきながらお預けだ。

純情なんだか大胆なんだかはっきりして欲しいそんな女の子に、授業中手を上げて俺を好きだってもし言えたら抱いてやるぜ、と高らかに宣言する。
まるで三代目魚武濱田成夫だ。
さらに、キスの後で涙をこぼした彼女に、なぜ俺たち生まれたか教えそびれちまう、と言い放つ。
なにを教えようってんだ、なにを。

要するに、Aまでいったものの、Bから先に行けなくて、ムラムラしながらチクショーと叫ぶ若い三人組という構図だ。

中学の頃、シブがき隊ファンの女の子はけっこう多かった。
江戸川区という土地柄と関係あるだろうか。

『デューン 砂丘の大聖堂』2巻読了。
いよいよ最終刊を残すのみ。

『デューン』シリーズを読んでいると、意識の状態ということについて色々考えさせられる。
たとえば、瞑想とは何のためにあるのかということなど。

瞑想は精神のデフラグであり、心が一カ所に留まっている状態が長く続くことで起こる不具合を解消するためのメソッドだと思う。
つまり、集中力が100あるとしたら、それらを五感に対し均等に分散させるための方法論だ。

たとえば速読トレーニングには、意識的に視野を広げるというものがある。
目の焦点を一点に結ぶのではなく、視界に入ったもの全体をぼんやりと意識する。
これは、精神を落ち着かせる効果があり、瞑想に応用できる。

歩く時によくやっている自己流の瞑想法がある。
視点を前方やや上に固定し、視界に入ったもの全体に意識を向ける。
同時に、耳から聞こえてくる音すべてに、同様のことを行う。
見えているものすべてと、聞こえているものすべてを、一つ一つはっきり認識することは出来ない。
見えるなあ、聞こえるなあ、くらいのぼんやりとした感覚があるだけである。
これをやると不思議なことに、脳の疲労感が取れ、眠気がおさまる。
一カ所に集中していた負荷が分散されるからだろうか。

Walkmanで音楽を聞きながらの時もある。
集中しなくていいのだから、好きな音楽を聞く。
普段あまり聞かないものの方がいい。
良さを発見することがあるからだ。

夜、ビデオ編集つづき。
THE WHOをやる。

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