納得という関所がある

夕方、児童館で稽古。
二人芝居の三本は先の展開が見えてきた。
稽古場で稽古を見ながら台本を作っている。
「口立て」芝居の変形。
役者に即興をやらせる機会が少ないのが違いと言えば違いか。

チラシの入稿を済ませる。

「テキストファイル」より1週間稽古期間が長いのに、稽古のペースは割と密である。
逆に言えば、あれだけ短い稽古期間でよく「テキストファイル」を作ったものだ。
三週間しかなかったのに。

それをいえば「ヒモのはなし」もすごかった。
「六月の魔女」が終わり翌週末に精算会。
実質的に稽古が出来たのはその後からで、稽古期間は2週間。
台本を書き起こすところから始めたのだから、正気の沙汰じゃない。
よくもまあやれたと思う。

いたずらに長く稽古するのは好きじゃない。
密度の高い稽古がしたい。
稽古場にいる時間中、セリフを喋って演技をしている時間の割合をどれだけ高くできるかが、一つの指針だと思う。
解釈についての話し合いは稽古場じゃなくてもできる。
でも、それをしないと稽古が出来ないタイプの役者もいる。
納得しないと先に行けない。
その代わり納得すれば邁進する。
どっちがいいというわけじゃないけれど、俺は納得しなくてもとにかく沢山読みたい。
以前はそういうタイプじゃなかったが。