休日に目覚ましをかけること。
一種のリハビリだ。
タバコをやめると、寝覚めがやたらに早くなる。
アルコールをやめても同様。
だが、やがて体の方が慣れてしまう。
この「慣れ」の意味はなんだろうか?
ニコチンやアルコールを摂取している時の方が、体は一生懸命回復してくれていて、それらをやめると、体は回復をサボるんじゃないだろうか?
ごたくはいい。
とにかく、昨日は寝たのが3時だったので、6時間後の9時に目覚ましをセットした。
そして9時に目覚めた。
眠かった。
無理に起こされたような気がした。
平日なら、6時間も寝れば十分なはずなのに。
体は休日に甘え始めている。
睡眠をもっとくれと、あえいでいる。
カオナシの姿が今、思い浮かんだ。
昨夜、3時まで起きていたのは、ドラマ『火の魚』を再見したため。
再生したら止まらなくなり、最後まで観てしまった。
鳥肌ざわざわだった。
たった50分というのが信じられない。
折見の見舞いに行き、花を渡す時の村田の台詞。
「買ってきた。いるか?」
この言い方が、たまらない。
静かなドラマに、命が激しく燃え上がる作品。
憧れる。
3時に家を出る。
ブックオフで買い物。
チェーホフの短編2冊、村上春樹『世界の終わり…』下巻、モーム『月と六ペンス』、モーパッサン『女の一生』買う。
東小金井へ。
「宝華」で、宝ソバとネギチャーシュー丼のセット食べる。
マスターがいた。
相変わらず見事な差配ぶりだった。
6時に国分寺へ。
差し入れを買い、6時半に劇団漠の卒公を観に学芸大。
かっすんの卒公。
演目は野田秀樹『赤鬼』だった。
12年前、漠の卒公で『赤鬼』を観た。
https://mgribbon.com/2003/03/16/905
さらに前、2000年の8月に、学芸大の噴水広場で後輩の坂口さんが、美術科卒業制作のために上演した『赤鬼』を観た。
後輩がやる赤鬼の、今回は三本目だ。
過去は、野外とテント公演だったが、今回はアトリエTだった。
天井が低い。
その分、漂流からカニバリズムに至る場面の閉塞感が、ぐっときた
どこにぐっときたのかというと、これから大学を卒業する後輩達が、人肉くらって生き延びるような社会に、自分だけは人肉をくらってないと思っていたけど実はとっくの昔からくらっているような社会に、4月から出て行くことを連想し、ぐっときたのだ。
卒公でこの作品をやるということが、儀式であるように感じられたのは、今回が初めてだった。
海の底に絶望が沈んでいるという台詞の広がり方から、君らは何を思ったのだろう?
たぶん、その意味を深く強く知るのは、これから何年か経った頃だろうが、その頃君らは、演劇に対してどういう距離感で接しているのだろう?
その頃俺は、どうしているだろう?
終演後、かっすん、浅井さんと話す。
卒公、今年はやるつもりはなかったのだという。
過去の卒公が、後輩達に相当負担を与えていたらしく、その反動もあるらしい。
だがこうして実現に至ったということは、作品に導かれたんじゃないかとさえ思う。
「逃げられなかったってことだよ」
と言う。
かっすん、卒業後は新劇系の養成所に通うという。
浅香は、
「漠の人には珍しいね」
と言っていた。
だが、今の時代は、かえって新劇系の方がいいんじゃないかと思う。
俺も通いたいもの。
チェーホフやりたいもの。
9時半くらいまで、アトリエTで喋り、辞去する。
「ダメ元でお聞きするんですが、追い出しコンパ、いらっしゃいませんか?」
浅井さんに言われた。
「いつ?」
「火曜日です」
「17日の、何時?」
「25時です」
そりゃそうだ。
昔から、そんなもんだった。
でも、無理だ。
無理な立場になっちまった。
9時半という時刻に、学芸大の元噴水広場横を歩くのは、既視感に囚われる経験だった。
懐かしい、と思った。
かつて何百回、夜のその時間にそのエリアを歩いてきただろう。
10時半帰宅。
米を4合炊き、西友で買った麹と、先週余った酒粕を、果実酒瓶に入れた。
酒粕を使い回すため、イーストはなし。
週末が楽しみ。
ご無沙汰しています。
自分の名と、上演を覚えていてくださったことに驚いてます。
25時開始の追いコン、懐かしさに体が震えました(笑)
今回もまた観に行けませんでしたが、
またいつかお話できる機会があれば嬉しいです。
見始めてすぐ思い出しました。
そういえば、噴水広場で見たなあと。
この日記をネットに公開する、ほんの少し前だったと思います。
昼間だったよね。
あと、半年後の卒公でも、キング牧師の演説を引用してたよね。
追いコンはもう、10年以上行ってません。
サ新棟4階のミーティングスペース、汚かったですよ。
もうあそこでは出来ないでしょうね。