脳の物語

梅雨入りはまだだが気持ちはすでに入っている。
6月6日を過ぎるとそう思う。
この季節は嫌いではない。
雨も、蒸し暑いのも、梅雨寒も嫌だけど、全体が一つになった梅雨という季節は嫌いではない。

チェーホフ短編集読む。
キャリア初期、生活のために色々な雑誌に寄稿していたユーモア短編ばかり収められたもの。
読みやすくはないし、ある意味売文なのだが、晩年の完成された短編小説や戯曲よりも、チェーホフ本人の息吹を感じやすい。
作家を知るために小説を読むわけではないが、好きな作家なら例外だ。

昼、クッパとわかめサラダ。
クッパは、家で炊いた米を、辛いカップスープに入れるだけのもの。
最近よくやっている。
腹持ちがいい。

仕事先の空調、風の方向が変わったのか、うなじに当たらなくなった。
おかげでカーディガンなしで終業時刻まで過ごせた。

定時にあがる。
都庁前から本郷三丁目へ。
湯島にてトツゲキ稽古。

台本の追加分配られる。
進行状況は全体の80パーセント前後ではないかとの話。
読みをしてから簡単な動き作り稽古。

今回の作品は4年前に観客として見た。
出演していた綾香に、
「オレも出たい」
と言ったのが縁になり、翌年客演することができた。
言ってみるものだ。

今回は、出たいと言った作品の再演。
見た時の上演時間は100分だった。

舞台は、脳医学の研究室。
酵素やタンパク質を研究している。

キーワードは色々ある。
「記憶」もその一つだ。

我々は、時間は過去から未来に向かってビデオテープのように順番に流れていると思いがちだ。
だが、それは五感が獲得した「現在」を、脳が速やかに「過去」のフォルダーへ保存しているため、そう感じるに過ぎない。
脳にも色々な事情がある。
疲れたり病気になったり。

たとえば過去のフォルダーを本棚に見立ててみる。
左上から順に、記憶という名の本を収納していく。
1巻2巻3巻4巻5巻6巻…
何かの拍子に7巻を2冊買ってしまったら?
「一冊は3巻の隣に入れとこう」
次の瞬間、脳はこう思う。
(ん? 今買った本は、読んだことがあるぞ?)
デジャ・ヴとはこういう現象ではないだろうか。

今回の作品は、本棚に何らかのトラブルが生じた時、収納される本に関わる人々がどう振り回され、また、どんな感情を抱くのかを描いた物語だと思う。
我々は研究員であり、あるいは本棚職人の弟子であり、または記憶回路をつかさどるいちタンパク質として、舞台の上を右往左往する。
まるで人間のように。

いや、人間世界の悲喜こもごもも、脳の視点から見ると結局はタンパク質と酵素の問題ではないか?
宇宙から見た地球がそうであるように。

9時過ぎ稽古終了。
雨が降りそうだった。

大江戸線に乗り、チェーホフを読む。
しばらく本に熱中していたが、車内アナウンスが言った。
「次は森下」

どうやら、逆方向の電車に乗っていたようだ。
森下で下り、都庁前行きに乗り直す。

10時40分にやっと荻窪に着いた。
小雨が降っていた。