仕事実況

目覚ましを5時半にセットしていた。
昨日のオレが今朝のオレにジョギングをさせようと思っていたのだ。
暑さのため真夜中に起き、水分補給をしたりエアコンを入れたりして、よく眠れずに起きた今朝のオレには、昨日のオレに対する不信感しかなかった。
結局6時半に起きる。
体がむくんでいた。
走れば大量の汗をかきそうだ。

満足いくほど走るには時間がなかった。
浴槽にお湯を張り、半身浴をして汗を流した。

7時50分に家を出る。
暑いと感じる前に、額から汗が流れ落ちた。
もしこれが全部涙になったらえらいことだ。
ネロとパトラッシュと節子がいっぺんに死んだみたいになる。

8時半から仕事。
外は暑すぎ、中は涼しすぎる。
温度設定は26度前後になっているが、外が35度なら気温差は9度だ。
14度が5度になると思えばいい。

高校の頃、体育教師が話していたエピソードを思い出した。
冷凍庫にものを出し入れするバイトをやっていたその教師は、体温調節機能がおかしくなり、汗が出なくなってしまったそうだ。

やっぱり汗をかきながら寝た方がいいのだろう。
バスタオルをシーツ代わりにするか。
それともいっそのこと厚着をして寝るか。

午前中、解約関連の仕事。
予定日を過ぎたのに空欄になっているデータがあるという。
なぜそんなことが起きているのか調べていくと、データの流れが途切れていることがわかった。
AさんからBさんへ依頼が行き、Bさんがシステムに登録する。
そこまではいいのだが、Bさんとは関係なくCさんがシステムからデータベースへ入れることになっていた。

データを必要としている人に話したところ、集計と予測に使うとのことだった。
サービス遅延や料金に関わる問題ではないのでまずは安堵する。
こうなると話は単純で、データの流れを上流から下流へ順番に調べていくだけだ。

不透明な部分がたくさん出てきた。
流れを確認せず、インポートで対応するのが一番良くない。
いつ、どのタイミングで、誰がインポートするのか、責任の所在を明確にできないインポートは、しばらく凍結した方がよさそうだ。

昼、休憩室でパソコンを開くと、
「ここで業務作業は禁止です」
と注意された。
「これは私物なんです」
と言って納得してもらった。

その直後、電源が落ちた。
バッテリーの劣化によるものか。

台本を書く。
占い夫婦の話。
昨日書いた時は面白くもなんともなかったが、一日経って書き足すと、会話がつるつると進んだ。
加えた要素は二つ。
・自己流
・占いに向いてると占いに出たので占いを始める

午後、仕事の続き。
その案件は何々さんが管理していると聞いたので、何々さんのところへ行く。
「僕はやってないです。誰々さんがやってます」
と何々さんは答えた。
誰々さんのところへ。
「確かにやっています。でも塚本さんが調べている項目は触ってないです」
振り出しに戻り、何々さんがデータを送る誰子ちゃんのところへ。
「何々さんからデータをもらって、それを誰それさんに送っています」
「誰それ?」
「誰それさんです」
「ああ、誰それさんね」
つまり、誰々くんは独自に処理をしているようだ。
「ねえ誰々くん、君の作業で、これこれ、こういうふうになったら、どこにデータを入れるの?」
「ここです」
誰々くんの指は、別の入力欄を差しており、そこには正しいデータが入っているようだった。
そして、同じデータを、オレが調べている欄にも、入れなければいけない。

自責に戻り、誰々くんが作業しているデータが日々のメンテナンスで反映されるように、ツールを作り直した。
これで今後、入力漏れはなくなるだろう。

小休止。
同僚のA氏から、ランチに「ジョッパルゲ」へ行った話を聞く。
今年の三月から四月にかけてオレはよくその店に行っていて、美味しいと勧めていたのだ。
最近行ってないが、話を聞くと行きたくなってきた。

メンテナンスを済ませ、終業間際にちょっとした作業をし、5時半過ぎにあがる。

寄り道せず帰宅。
隣の部屋の解体は、廃材を運び出すところまで終わったようだ。
業者の人が開けっ放しのドアの前で電話をしていた。
中をちらっとのぞくと、打ちっぱなしコンクリートのスペースがそこにあった。
そのまま、お洒落なバーかなにかに改装できそうだと思った。
オレの部屋から壁一枚隔てて、男が女を口説いたり、カクテルを頼んで知ったかぶりのトークをしたりする環境は、当分引っ越さなくてもいいと思えるほど面白い。

もちろんそんな改装などするわけはないが。

夜になると涼しくなってきた。
体にたまった水分を少しでも排出しようと思い、スンドゥブを食べた。
その後、景山民夫「普通の生活」を読みながら、小一時間ほど半身浴をした。

「普通の生活」はエッセイなのに短編小説の趣がある。
景山民夫本人の視点で書かれた作り話。
いわば、ほら噺なのだが、その技術が極めて高い。
若いアメリカに渡って、ウッドストックに一日遅れで間に合わなかったエピソードなど、本当かよと突っ込みたくなる。
でも面白い。

放送作家から作家に転身後、あっという間に直木賞を受賞し、幸福の科学に入信してフライデー焚書事件を起こすまでが、景山民夫の絶頂期だった。
時期にすれば1984年から1991年までのわずか七年間だ。

対象に熱中する度合いが高すぎることもこの人の特徴だった。
青島幸男への崇拝ぶりやビートたけしへの傾倒ぶりは、文章になると読み手を洗脳する檄文のような効果があり、高校生だったオレは無批判にその言葉を信じた。

のちに夕刊フジや週刊朝日に連載したエッセイは、よりエッセイらしい。
夕刊フジの連載は「食わせろ!」という単行本にまとめられている。
山藤章二のイラストがつくこの連載は、山口瞳、吉行淳之介、井上ひさし、筒井康隆、つかこうへいなど、そうそうたる面々がかつて連載を持ったシリーズだ。
新聞連載なので、執筆者は途中でネタ切れになることが多く、ネタ切れをネタに書くことがよくあったが、景山民夫は一度もそんなことはなかったと思う。
この人は本質的に、ネタに苦労することがないタイプなのではないか。

少なくとも短編やエッセイにおいては、少ない枚数にフィクションを盛り込む能力はべらぼうに高かった。
酒の席を盛り上げるため、自身のエピソードを面白おかしく脚色する能力とでもいうべきか。
時に脚色はフィクションになり、それが文章になると、「普通の生活」になる。

長編もいくつか読んだ。
だが、完全にフィクションである土俵ゆえか、ほら噺能力が生かしいれていないようにも感じた。

ほら噺能力が長編のフィクション構築能力と結びつき、ライフワークとなる一大長編を書く前に、民夫くんは死んでしまった。
たけしのオールナイトニッポンリスナーにとっては、いまでもやはり民夫くんの方がしっくりくる。
俺たち天才めちゃぶつけ、の。

大ファンではなかったのに、段ボールにしまうことなく本棚には必ず作品を並べておき、時々読み返してしまう。
その夭逝、惜しかったなあと思う。
放送作家と二足のわらじを履ければ良かったのに、とも。

1時半、久しぶりにエアコンをつけずに寝る。