線香をあげに

10時起き。
「丸信」でワンタン麺を食べ、図書館で借りていた本を返す。

午後、3時過ぎに走る。
千川上水に沿うコース。
8キロ。

シャワーを浴び、5時過ぎに家を出る。
荻窪の花屋でお悔やみの花束を見つくろってもらう。

先月亡くなった伯父のため、線香をあげさせてもらいに、南阿佐ヶ谷のお宅にうかがう。
花を渡し、線香をあげた。

「今日、時間大丈夫なんでしょ?」
伯母さんに言われる。
もとより、伯母さんと色々お話ができればと思っていたので、テーブルに座り夕食をごちそうになった。

伯母さん、庭でキュウリを育てているという。
「毎日五本以上できるのよ。でもね、きゅうりなんて飽きちゃうでしょう。困ってるの」
軒下にできたものは高いところにあるため収穫できず、巨大化してしまったのを今朝息子に、オレの従兄弟にとってもらったそうだ。

「きゅうりならまだいいけど、ゴーヤもあってね」
育ってしまって大変らしい。
「色々やったのよ。漬け物とか」
毎日ゴーヤチャンプルにするわけにもいかない。
「阿佐ヶ谷あたりに沖縄料理店ありませんかね。店のなじみになって、うちのゴーヤをタダであげるから取りに来てちょうだいって言えば、お店の人、喜んで収穫しにきますよ」
伯母さんは笑っていた。

きゅうりのぬか漬けをいただいた。
その辺に売っているきゅうりよりも大きく、とても美味しかった。
「こんなのさ、若い人は食べないんじゃないの?」
「いえ、むしろ今の若い女の子は、ぬか漬けに憧れたりしますよ」
「ホントに?」
「絶対います、そういう子」

巨大化したきゅうりと普通のキュウリ、それに佃煮をおみやげにもらった。
「あなたのお母さん、佃煮嫌いだけど、ケンちゃん大丈夫?」
「僕、好きですよ」
「良かった」

9時に辞去する。
「ありがとね」
伯母さんは家の前で見送ってくれた。

伯母さんの娘、オレの従姉妹は、三年前に亡くなっている。
今は、母一人息子一人だ。
伯父さんがやっていた不動産屋を閉めるので、パソコンなどを持ち帰るらしい。
そのへんの作業は、なにか手伝えることがあるかもしれない。

10時前帰宅。

「ど根性ガエル」見る。
ひろしの話とぴょん吉の話が平行して進むシナリオだった。
ゴリライモの有能上司ぶり、よしこ先生のはまりぶりが印象的。
毎回楽しみにしているが、視聴率は初回に比べて下がっているらしい。
Twitterで検索する限りかなり好評なのだが。

「マカロニほうれん荘」読み返す。
クマ先生の授業つぶしネタに見入る。
教壇をステージに見立て、クマ先生が教室に入ると同時にトシちゃん達の演奏が始まり、クマ先生はついノってしまうという定番ギャグ。
ラストはクマ先生の、
「もーイヤっ!こんなせーかつ!」
というシャウトで終わる。

ノリ方が実に絵になっている。
70年代のロックををリアルタイムで描写しているという意味では、貴重なロック漫画でもあるなあと思った。
たとえば、ハロルド作石の「BECK」と比較しても、演奏シーンや扉絵のかっこよさは、全然負けていない。

女の子が個性的で皆かわいい。
オタク的なかわいさではなく、デザインとしてかわいい。
だが、そのかわいさが見られるのは連載中頃までで、終わりが近くなるとデッサンも荒くなる。
作者の生命が絵に乗り移る形でのかわいさだったのかもしれない。

そうじ君は主人公のはずだが、トシちゃんときんどーさんによって脇役扱いになっている。
稲中と同じパターンだ。
落第コンビにひどい目に遭わされる代わりに、かおりさんには可愛がられ、クラスメートの敦子やその妹には色仕掛けで迫られ、裕美ちゃんとはお付き合いするなど、もてまくりだ。
どこがいいのだと子供の頃は思っていたが、大人になった今読むと、真面目でいい子だなあと思う。

特異な才能がごく短い期間に激しく燃焼した結果が「マカロニほうれん荘」だった。
秋田書店はなぜその才能を大事に育むことができなかったのだろう。
少年チャンピオンが80年代に入って、あっという間に凋落したことと、なにか関係があるだろうか。