楽しさの罠

マサラムービーで踊る女優さんみたいに首を横にカクカクさせる夢をみて目が覚めた。
7時だった。早過ぎる。
寝台に横になり、あの夢は何だったのだろうと考えているうちに再び寝てしまった。
今度は夢を見なかった。

12時過ぎに起きた。

着替えて、環七の「SEN YO」へ。
先週行った中華料理店。

今日は並んでいる客はおらず、すぐカウンターに座れた。
担々麺と春巻きを頼む。

春巻きは海老入り。
小皿に塩が添えられていた。
皮がパリパリで、恐ろしく美味い。

担々麺は、辛さはそれほどでもないのに、食べていると汗が止まらなくなる代物だった。
スープはどろっとしていて濃厚。
この中にご飯を入れ、おじやみたいにして食べたら最高だろうなと思った。

恐れ入りながら店を出た。
しばらく、週末ごとに通うだろう。

図書館へ行き、予約した本を借りる。

2時過ぎ帰宅。
メールが来ていた。
しばし考え、とにかく思ったことを正直に書くしかないと思い、返事を書いた。

progate のjavascriptを終える。

楽しむことについて、色々考える。
オレが芝居を始めた頃、稽古を楽しむという考え方は、世の中に存在していなかった。
「第三舞台は稽古中に、汗でTシャツを3枚替えるらしい」
「夢の遊眠社の身体訓練は、プロ野球の選手でも根を上げるらしい」
しんどさに直結したところにロマンがあり、憧れがあった。

大学時代に演劇を教えてくれた先輩達は、そろいもそろっていい人ばかりだった。
厳しくされたことはもちろんあったが、理不尽にしごかれたり、いじめられたりしたことは、ただの一度もなかった。
人生の七不思議のひとつだ。
卒業して木野花さんのドラマスタジオで一年お世話になった。
厳しいダメ出しをされたことはもちろんあったが、おかげで今でも演劇に関わっていられている。
もしあの時、楽しいだけでやっていられたら、今のオレは地獄にいたと思う。
楽しいのは、正しいじゃないのだ。
でも、みんな楽しもうとして、つまらない地獄に落ちる。
楽しもうとしなくても、集中して稽古していれば、いつの間にかそれを楽しいと思うだろう。
その楽しさは、最初から楽しもうとして得た楽しさの何倍も楽しく、かけがえのないものに感じられるはずだ。

罠は、楽しさにある。
楽しいと感じられなくて、焦ってしまう心の動きにある。

夜、豚もも肉、玉ねぎ、もやしを炒めて食べる。

ビートルズのアルバムを、HelpからAbbey Roadまで順番に聴く。