開かれた空間を司る人がいなくなっていく

朝、眠気が取れず、走るのはサボリ。

松本雄吉死去。
生では、たった一度しか見ていない。
その観劇中に、うとうとしてしまったことが、恥ずかしい記憶として残る、
ビデオで「ノクターン」を見たときの方が、波長が合い、凄いなあと感じた。
順番が逆だった。
先にビデオを見てから、生で見ていれば良かった。

小津安二郎やタルコフスキーの映画でも、同じ経験をしている。
見終わってから、映画の本を読み、頭の中に能書きが溜まってから再び見ると、すごく面白く感じた。
オレは馬鹿な鑑賞者なのだ。

蜷川さん、松本さん。
開けた空間を演出できる人がいなくなったことが、時代を象徴しているかのように思えてしまう。
社会が、開けたものから、閉ざされたものへと変化していってるように。

仕事先で、Tさんから誕生日プレゼントにお酒をもらう。

夕方6時半帰宅。
蒸し暑かったので、水のシャワーを浴びた。

先週月曜の「5時に夢中!」を見る。
そういえば、先日、ジョディ・フォスターが木曜のゴジムに出演した。
ADの真似をして、画用紙のカンペをめくっていた。
実に正しい。

超大物アーティストは、ゴジムに出て宣伝すればいい。
翌日の新聞記事を飾るから、宣伝効果は倍になる。
実に正しい。