歯磨き怪人

真っ暗なところにいる。四方八方が暗幕に囲まれ、照明器具はない。
目の前に白い台形状のものが立っている。巨大な歯みがき粉のチューブだ。両端から手足が生えている。キャップはついていない。 
先端から白くて太い固形物が出て来た。
「ちがう。歯磨き粉じゃない」
声が聞こえた。チューブが心話で話しかけてきたのだった。
「この世界では、うどんはこうやって製造されているんだ」
「うどん、だと?」
「おまえが蕎麦を食すようになり、将来的にこれだけ余ることがわかった。それで、こうして出て来たんだ」
「その中に詰まっているのは、オレが死ぬまでに食べるはずだった、うどんなのか?」
「ああ。好き好んで、こんな歯みがき怪人みたいな格好をしていると思うか?」
「好き好んでしているから、そんな格好なんじゃないのか?」
「こしゃくな返しをするな。オレの使い道を考えてくれ」
「中は、小麦粉と塩と、水だろ?」
「ああ」
「いったん全部出して、玉子とバターと砂糖を足して、焼いてもらえばいいじゃないか」
「すると俺はどうなるんだ?」
「クッキー的なものになる」
「麺(ひと)の道に外れたことはできん!」
いつの間にかチューブの右手には巨大な歯ブラシが握られていた。奴はそれをバットのようにスイングした。ブラシの背のところが目の前に迫ってきた。やっぱり歯磨き粉怪人じゃないかと心の中で言い返そうとした。

眼が覚めた。6時半だった。
筋道の通った夢だったが、落ちがなかった。
落ちをつけようとする脳の動きが、目覚め方面に働いたようだ。

朝飯にトースト、ツナ缶、メンチカツ、ポタージュ。ポタージュは粉末のやつ。牛乳で作った。飲んで少しすると胃がもたれた。毎日牛乳を飲むようにして、身体を慣らしていこうと思っている。

ビットコインのことを調べる。使い道はなく、投機対象と見なすべきものなので、生活に関わってくることはなさそう。

昼、コンビニで、どん兵衛の天ぷらそばを食べる。
歯磨き怪人の声が頭の中に響いた。
「ほら。前は天ぷらうどんを食ってたのに」
箸が止まった。

確かに、そばが食べられないから、代わりにうどんを食べていた節がある。それがすべて、そばに切り替わってしまうのは、うどんに対して失礼だ。ヒロインが振り向いてくれないから、ヒロインの面影のある女性と付き合い結婚したが、ヒロインが自分と関係を結んでくれたので、妻をポイ捨てし、ヒロインとくっつくみたいな節操のなさだ。ひどいたとえだ。

歯磨き怪人に今後の方針を伝えておこう。また夢に出てこられても困るし。

過去、うどんとして食べていたトッピング

きつね
たぬき
天ぷら
コロッケ

ざる
月見
カレー

これらのうち、今後もうどんとして食べていくものを明言すればいいのだ。

迷ったが、以下に決めた。

きつね
カレー

そして、そばとして食べていくものも決めた。

コロッケ
天ぷら
たぬき
ざる

東京のうどんは汁が黒い。そもそも蕎麦を食うためのものだからだ。そして、立ち食い蕎麦の天ぷらトッピングは、この黒い汁にめっぽう合う。
うどんがこの汁に合うと思ったことはない。蕎麦の代わりとして食べていたので、合う合わないは関係なしに食べていた。
揚げ物トッピング以外は、そばである必要のものはあまりない。カレーうどんや肉うどんをそばにしても、魅力を感じない。
にしんそばは、以前そうめんで作ってみたことがあるが、生臭くてまずかった。あれは、そばの香りあってこその味だろう。
ざるそばについては、うどんよりそうめんが割を食う気がする。しかし、もともとそうめんはあまり食べないからいいだろう。

歯磨き怪人へ。これを読んで納得したら、もう出てこないでください。

夕方から雨が降り出した。春の訪れを感じさせる雨だった。

実家へ帰る。ひき肉のオムレツ、麻婆茄子食べる。

園子温監督の「愛のむきだし」を観る。DVD2枚組みのうち1枚分。ひたすら面白かった。満島ひかりはこの作品でブレイクしたと言われるが、商業的な意味でなないだろう。外す必要のある「たが」が、この作品で外れた。いわゆる「体当たり演技」という外され方ではない。パンチラしまくりだったり、要素としては「体当たり」なのだろうが、そこに至る心の動きは全然違う。いずれにせよ、ここでたがが外れたことで、自由を手に入れた。その自由を、人は仰ぎ見るようになった。

ヌードになっても、体当たり芝居にならない女優の方が多い。AVでさえそうなのだ。裸になっても本番をしても、体当たりと見なされない。
そもそも、体当たりなんか、しなくてすむなら、したくないはずなのだ。
自分を変えるというのは、その必要があるからで、必要がないなら変わらない方がいい。
ただ、生きることは映像であり静止画像ではないから、自分だけが変わらないで済むということにはなりにくい。

だから変わろうとする。それまで自分がまとっていた殻をこわすのだから、不快だ。できればやらないで済ませたい。
でも、やらざるを得ない。そうしないと、自分が器の大きさや形によって固まってしまう。変形できなくなってしまう。静止画になってしまう。

それは幸せかもしれないが、静止画の中にいつつ、静止画を感じることはできない。時間の静止は時間が流れていてはじめて相対的に理解できるものだ。

だから、変わらなければいけない。いつだって、ではなく、その時が来たら。そして、そのタイミングは自分では選べない。
変わろうとすることではなく、変わらなければいけない時を知る能力と、その時に躊躇なく変わろうとすることができる根性と、不快さに耐える精神力が、もしかすると、若者が身につけて損はない能力かもしれない。

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