「かもめ」観る

7時40分起き。目覚ましより早く起きた。ブログを書く。毎朝起きて書くことを習慣にしたいのだが、さしあたって書くのがブログというのはお粗末だ。
8時48分に出て、9時8分に仕事場そばのコンビニにへ。おにぎりを食べコーヒーを飲み、スマホでネットを少し見てから仕事へ。
最近は、午前中にルーティンワークをやり、午後にツール関連の作業をしている。ツール作業は中身を調べたり、仕様をまとめたりするものなので、終わりや工数が曖昧だ。でもとにかく、ルーティンワークにかかりきりの状態は脱した。

昼、山田屋でラーメン大盛り食べる。

午後、ツールの資料を元にデータの入出力仕様書を書く。資料をもとに資料を作っている。

定時に上がる。外に出ると雨だった。小一時間ほど雨宿りをしたが、完全にはやまなかった。7時15分に下北沢へ。シアター711にて観劇。演目はチェーホフの「かもめ」だった。一昨年、「十二人の怒れる男」で共演した丸山さんと河野さん出演。

喜劇四幕と戯曲の冒頭にあるが、喜劇の部分を考えて作ろうとしたと思われる。しかし、とらわれる必要はなかったのではないか。喜劇と宣言することが、アイロニーになっていることで、作品の魅力が深まるということもある。そして、日本語の「喜劇」という言葉は、今の時代において適訳なのかという疑問もある。
トレープレフはコスチャという愛称読みになっていた。トレープレフ君より、コースチャと呼ぶ方が呼びやすい。
役者の演技スタイルはまちまちで類型的だった。個を際立たせるより、いる人全員が場面の調和を目指すための演技をしないと、逆に個に目がいかなくなる。
トレープレフと母の関係が、マザコンみたいだった。息子の包帯を変える場面で、なんだかんだいっても親子は愛し合っているのだとしみじみ感じさせるところがいいのだが。トレープレフの声が甲高く、甘えを発しているところが最後まで気になった。
ニーナは、四幕が良かった。その場面のニーナをみるために、今回の舞台はあったといえるかもしれない。
ドールンは全体的に、思慮に欠けた人のように見えた。ラストの台詞は平坦にやっていた。役者としてどう演じるかのお題みたいな台詞なので、幕引き後の余韻を響かせるような言い方をして欲しかった。が、難しいのだ。ゆえに、やる方はおもしろいわけだけど。
色々思うところはあったが、やはり「かもめ」はすばらしい戯曲だと思った。
オレはもうトレープレフが出来る年じゃないが、トレープレフが出来る年だった頃は、たぶんトレープレフはできなかった。今なら出来るが、年が許してくれない。ニーナも、今ならできるが、性差ではじかれる。
客席に莉佳ちゃんがいた。彼女はまだニーナができる。今のうちやれるといいのに。

やりたいのは、ドールンかトリゴーリンだよなあ、と思いながら帰路についた。

トリゴーリンのやりようは、四幕が難しい。この人は決して俗物というわけではないのだ。言ってみれば、メジャーになる夢を叶えたトレープレフが、数年後にそうなったかもしれない姿であるのだ。

設定を現在の日本に翻案するとしたらどうなるだろう。大女優の母、作家志望の息子、女優志望の彼女、人気作家である母の愛人。この四人に、ドールン医師と誰かを加え、少人数設定にして、饒舌台詞を短いダイアローグにして1時間半くらいに収まれば、面白いのではないだろうか。

10時帰宅。あんパンとカレーパン食べる。

電気グルーヴのライブ、今日と明日にやっている。行きたくてたまらなくなるが、今回は無理なので、見に行った人のツイートを検索して我慢しようと思ったが、羨ましさが募るだけだった。次はいつあるだろう。フジロックのアーチストリストには載っていなかった。つくづく、去年行けなかったことが悔やまれる。行きたいライブは、行けることになったら何が何でも行かないといけないのだと思い知った。

10時半就寝。