8時10分起き。12時に寝て8時間眠ったのに頭がすっきりしなかった。昨日から雨で気温が下がったせいかもしれない。連休中は夏日だったのが、15度以下になっている。
起きて水耕栽培の様子を見る。きゅうりはあまり大きくなっていなかった。8時半に家を出ようとしたが、イヤホンが見つからず、10分ほどロスした。結局見つからず、バス停のある環七まで歩く。信号待ちをしていたら、乗ろうとしていたバスが悠々と向かいの車線を横切り、バス停に止まり、人を乗せ、出発した。片手を前に出し、口パクで「待ってくれ」と叫ぶしか、出来ることはなかった。
10分後に次のバスがきた。初台には9時28分に着いた。走って仕事場へ。家を出たのが8時43分だから、ドアトゥドアで50分近くかかったことになる。バスが遅かったのではなく、乗るバスをひとつ遅らせたのがまずかった。それもこれもイヤホンが見つからなかったせいだ。
工具、文具、その他細かい道具を出して、使う前あるいは使っている途中で別の用事をし、再び使おうとすると見つからない。どこかに置いたのだが思い出せない。今朝のイヤホンは、昨日帰宅した時はスマホにつけっぱなしだったはずと思い、その時のことを思い出してみた。雨に濡れて帰宅したので、スマホをベッドに置き風呂に入った。風呂から上がって買い物をして、夕食を食べて映画を観た。観終わってからパソコンを閉じ、寝るまでの間にスマホをいじった。その時イヤホンは外していた。風呂から上がってから、どこかのタイミングでベッドの上のスマホを手に取り、イヤホンを外し、その辺に置いたのだ。
思い出せず、とてもイライラした。イライラする脳の状態だから、思い出せないのかもしれない。
昼、外に出てから、財布を席に忘れたことに気づく。おのれまたしても。
財布を取りに戻ってから再び外に出て、「山田屋」へ行く。満席ではなかった。チャーハン、ラーメン、中華丼のどれかにしようと思いながら3分も悩んだ。脳のパフォーマンスがおかしくなっている。
中華丼の大盛を食べた。午後、案の定眠気に襲われた。
3時までドキュメントの作成をする。来月頭に仕上げる予定だったものを前倒ししている。元からあるツールの修正なので、新しく作る必要はない。案外サクサク進んだ。しかし、前任者のドキュメントは誰にも顧みられていないような気がする。ドキュメント依存ではなく、ドキュメント作成依存ではないか。授業の時に教師の板書を血眼になってノートに書き写す奴が中学高校時代には必ずいたが、そいつの気持ちとしては、板書をすれば授業をしっかり受けた実感があったのだろう。ドキュメント作成依存も似たようなものかもしれない。文書そのものではなく、文書化プロセスを体感することが求められているみたいな。
一昨日、あることを悶々と思い煩っていて、頭の中で「ちっくしょう」「このやろう」「もう勘弁ならねえ」「表に出ろい」「叩っ斬ってやる」など、妄想怒りを展開させていたのだが、エスカレートしていき、ありえない設定とオリジナル脚本ができてしまった。よくわからない対象に向かって復習の鬼と化すオレ。ふと、そのオレの台詞を、尊敬する人や好きな人が演じ、それをオレが見たら、オレはその人たちのことをどう思うだろうと考えた。尊敬していられるか? 好きでいられるか? いや、そういうことを言わないしやらないから、尊敬し好きでいられるのだ。簡単なことだ。
すると、妄想の世界はあっという間に現実感を失い、消えてなくなってしまった。面白い現象だった。妄想怒り現象には昔からほとほと手を焼いていたので、この方法を使って消えるなら、精神衛生上大変助かる。
定時あがり。バスで帰宅。車内で交通機関の運賃を調べたら、井の頭線で初台に行くのが一番安かった。片道130円。昭和並みだ。
7時帰宅。食パンをくりぬき、耳の四角いのをフライパンで温め、中に卵とハムとチーズを流し込んで焼き、くりぬいた白いパンでふたをするホットサンドを作った。数年前、ツイッターではやった食べ方だ。実はくりぬかなくてもいいんじゃないかと最近気づいたが、ふたをするところが斬新だし、作っていて楽しい。
「愛のむきだし」観る。一番理性を捨てることが出来た出演者が満島ひかりで、そこまで追い込まれたことが、女優誕生のイニシエーションだったと、後付の理屈で考えた。追い込まれるべき時がまさにこの時で、園子温監督との出会いは、ボールを真芯でとらえた瞬間だったのだろう。
のちに演技力を褒め称えられることになる女優が、演技の力を行使せず、本能と反射を繰り返す動物になっている。演技とか役作りを一切考えていない。いない。いない。いる、という人とは、どうも意見が合いそうにないですね。
その地点に到達したら、演技なんてままごとだろう。褒めるのはお門違いというもの。満島ひかりの力だけでは無理だったし、監督の力でもなかった。ただただ、奇跡的なタイミングで出会い、追い詰め追い詰められた。
だから、他の役者がどんなに、よだれをたらそうと、白目をむこうと、パンツ丸出しになろうと、絶叫しようと、そういうことじゃないんだということが、見ていればわかる。そして、こういう出会いは二度とないのだということも。
満島ひかりは、演技、お芝居をするようになり、何をやっても絶賛される確変状態にある。しかし、絶賛はむしろ失礼にあたらないか。思想なき絶賛は、彼女にとっての観客を、思考停止の不気味な存在にするだけじゃないか。
園子温が、満島ひかりに未練はないという発言をしたのは、あえてそれを言ったのではないかと思う。
イヤホンのことを考えていたら、一昨日の帰宅時は雨だったので、どこかへしまって帰ってきたということを思い出した。ポケットや鞄を探すがなかった。ポーチにもなかった。落っことしたのかもしれない。
寒かった。しまいかけた足元ヒーターをつけた。トマトもきゅうりも成長を一時停止し、実の大きさは一昨日と変わらない。さすがに枯れるということはないだろう。10度以下になったらさすがにやばいが。