「ワイドナショー」生放送

8時半起き。
朝飯に、グリルチキンとレタスをパンにはさんで食べた。

「ワイドナショー」見る。生放送というので見た。昨日の宮迫会見で急遽松っちゃんがセッティングしたらしい。
吉本興業の社長・岡本さんは、オレの中では「ガキの使いやあらへんで!!」で、ブリーフの貴公子として猫を抱き、逆バンジージャンプや人間大砲をやっていた人である。会見で宮迫さんが言っていたパワハラ上司のイメージがどうしてもしっくりこない。
ただ、ラジオの「放送室」だったか、後輩マネージャーが怖い人相手にしくじり、一緒に謝ってもその人の怒りが解けなかった時、いきなり後輩マネージャーをしばいてぶち切れ芝居をすると、その人が「もうええわ」となったという話を聞いたことがある。その延長線上に、パワハラ的な発言があったのかなと想像する。
しかし岡本さんを悪人と決めつけて、松ちゃんすごいと持ち上げるだけで終わるのでは、いいことは一つもないと思う。タレントを何千人も抱えるようになり、その組織の社長になったということは、もう乳首相撲ができない人になったということで、タレントとのすれ違いは必須だろう。そもそも人を扱う会社が大企業になっていいことはない。工業製品であれば大量生産や原価節約ができるが、人はそうやって作れない。そして、岡本さん以外の人が社長になっても、似たようなことになっていただろう。松ちゃんが言っていたように、もう一度8畳ひと間のワンルームでやっていたみたいに戻るとしたら、タレントを大量解雇する必要がある。それをしないための、株主やテレビ局への配慮とすると、それはタレントがそうして欲しいと願っている行動から、どうしてもかけ離れてしまう。人数が少なければ、距離の近さで補える。どうすればいいのか。たとえば岡本さんがやめて別の社長になっても、今芸人さんが訴えている不満は解消不可能だろう。要するに、乳首相撲を芸人とやり、なおかつ株主総会を仕切ってくれということなのだから。
しかし乳首相撲がすべてを解決するというのは本当だ。というより、会社を拡大する時に、それをやっても乳首相撲が続けられるかを考えていればよかったのだ。それは、何千人もタレントを抱える大企業化とは、方向が違うと思う。
東野幸司が、後輩のことを喋る時、涙声になっていたのには驚いた。あと、松ちゃんと大崎会長の信頼関係の強さも再確認した。タレントは、そういう関係を会社と持ちたがっているのだろうが、何千人いて、全員が等しく持てるはずがない。マネージャーを増やせば解決すると考える時点で、工業製品化である。そして、今さら縮小化すると言って、株主は納得するだろうか。

昼過ぎ、久しぶりに走った。栄町公園まで行き、方南町へ戻るコース。途中、和田小学校で盆踊りをやっていることを知った。7キロ走って帰宅。

夕方、和田小学校へ。豊田君と待ち合わせ、夏祭りを居酒屋使いした。
焼き鳥、焼きそば、シシカバブ、ウインナーを肴にビールを飲んだ。
焼きそば売りの前には何十人も並んでおり、買うまでに10分以上待った。PTAママが販売していた。前に並んでいる小学生たちは、娘とそのフレンズだったらしく、ママはちゃきちゃきとした口調で「いくつ? はい200円!そっちで受け取って!」と言いながら客をさばいていた。小学生の娘を持つママなんて、わしから見ればギャル同然よのう、と思いつつ、紳士的にお金を渡し、礼をして焼きそばを受け取った。

未就学児童がたくさん来ていて、そこら中を走り回っていた。ちょっと熱が出たらしい五歳くらいの男の子のおでこをさわり、「帰ろっか」と言っているママがいた。これも、「わしから見れば」系のきれいな「生ママ」で、三歳くらいの娘の頭をいい子いい子しながら、「ちょうだい」と言って息子の買った串焼きをぱくついていた。

7時半頃に、いくつかの夜店が品切れ閉店したので、別のお祭りに移ることにした。

8時に栄町公園の盆踊りへ。和田小と違い、こちらの祭はプロが屋台を営業している分、値は張るが品切れになることはなかった。ビールを買い、隅っこのベンチに座って豊田君と話した。

豊田君、一昨年にクロスバイクで三浦半島まで行ってきたという。朝8時、まず浦和へ行って用事を済ませ、それから海沿いに三崎口へ向かい、4時頃着いたという。
「マグロ食べに行ったんですけど、バテちゃって全然食べられませんでした」
もっとすごいのは、10年近く前に山梨の忍野八海まで行っていたという。ママチャリで。
「芝居を見に行った帰りに向かったんです」
「夜じゃん」
「ええ。真夜中に高尾に着いて、道路警備の人にどこ行くんだって聞かれました」
「真夜中の甲州街道をママチャリで峠越えしようとすれば、そりゃあ言われるよね」
「でも相模湖まで坂を上ったら、あとはずっと下りで気持ちよかったです。そのあとまたずーっと上りで、また下りがあって」
「で、忍野八海に着いたと」
「はい。温泉があるんで入って、津久井湖の方に抜けて民宿泊まろうと思ったんです。でも、行ってみたら潰れてて。仕方なく町田方面に向かったんですけど、あのへん夜になると真っ暗なんです。でも何とか町田に出られて、あとはそのまま国分寺です」

なんとも、無茶をしたものである。

盆踊りは、なぜか70年代ディスコ仕様のDJがおり、「ヘイヘイヘーイ、みんなのってるかい?」と、浴衣客をあおっていた。

9時に祭が終わった。その後も少し話し込んでいたが、20分くらい経つと夜店はどんどん解体され、会場はあっという間にさみしくなっていた。そこでお開きにした。

10時帰宅。塩漬けらっきょうの残りを梅酢漬けにした。

木曜に漬けたらっきょうの甘酢漬けを味見してみた。まだ漬かってないなと思った。塩気も残っていた。甘酢には塩をまったく入れなかったので、漬けていることで塩分が溶け出すといいなと思った。

らっきょう漬けは、甘酢、黒酢、梅酢、梅酢みりんの瓶が合計6つできた。そして、自然発酵らっきょうがまだ1キロ残っている。

さすがに作りすぎたな。