6時半起き。
水耕トマトに氷を足す。気のせいか、枯れの進行が止まっているように見える。しかし成長は余り進んでいない。
半年ぶりに近所の図書館へ行き、予約した本を借りた。
豊田有恒『日本SF誕生』少し読む。
2時頃、眠くなったので昼寝でもするかと思い横になったら、そのまま6時半まで寝てしまった。起きるとうす暗く、何時なのかわからず、少し混乱した。
起きると暗くて何時なのかわからないという感覚は、実は嫌いではない。懐かしささえ感じる。
二十代の頃、バイト先で大宴会があり、朝まで飲んでかなり酔ったのだが、いつの間にか部屋に帰って寝ていて、時計を見ると夜の八時台だったことがある。ここはどこだろうと思ってから記憶を辿るのに時間がかかり、見知らぬ世界に飛ばされたみたいな感覚を数分間味わった。落ち着かない感覚だが、だからこそワクワクする感覚でもある。
最近では、2015年の7月に夢遊病の症状が出て、眠ったまま夜中の道を歩いていたことがあった。
酔っていたわけでもないのになぜこんなことが起きたのか、いまだに謎である。
夜、渡哲也死去のニュースが流れた。
パソコンの「哲也フォルダ」には、ドラマ『大都会』『浮浪雲』『西部警察最終回』『大河ドラマ秀吉総集編』がある。
そのうち、世間一般の人々に見せたいと思うのは、『浮浪雲』である。
これは、ジョージ秋山原作の漫画をドラマ化したもので、制作は石原プロ、脚本は倉本聰。『西部警察』の一年前に放送されていた。
このドラマで渡さんは、あの浮浪雲を、ひょうひょうと演じてなさる。
そのひょうひょうさは、80年代中盤を過ぎてから、弟の渡瀬恒彦がドラマやCMなどでよく演じていた形の原型といっても差し支えないと思うが、渡さんがそういう芝居もできるということを知っている人は少ないのではないか。
しかしその後渡さんは、石原プロの屋台骨を支えるべく、サングラスでドンパチばかりの役を延々と演じ続ける。渡瀬恒彦が東映ヤクザ映画系の役から、さまざまな役へシフトチェンジした80年代前半がその時代だ。
ただ、渡さんがそこまでしたのは、裕次郎がいたからである。
先日、『幕末太陽伝』を見て思ったが、石原裕次郎はすごかった。世の中の大抵のことは全然大したことじゃないんだ、という感じでニヤニヤ腕組みしている姿は、理屈抜きに素晴らしい。こりゃ、みんな憧れるさ。
渡さんは、そんな裕次郎の、世界でただ一人の『股肱』となった。その悦びと誇りは、我々なんかが想像してどうにかなるようなものではないんじゃないか。
渡哲也と裕次郎がお互いの持ち歌をカラオケで歌う贅沢映像をYoutubeで見たが、あっ、ここはよそもんが入っちゃいけない空間だ、と、すぐに思った。
寂しい。