大塚と稽古場の思い出

6時40分起き。朝飯に、久しぶりに米を炊く。4分の1合。それに、納豆、昨日食べて余った鮭のメンチカツを食べた。
糖質制限はゆるやかに解除していくつもり。

自転車で現場へ。やはり、直線距離に近いまま走れるのが大きく、ゆっくり走っても地下鉄より10分から15分早い。

午前中、関数作り続ける。テキスト出力のコードを書いてテストをした。

昼、『プーさんの店』でメンチカツ定食食べる。店に行く前、小学校の横を通り過ぎたら、児童が二階から外に向かって発表をし、教師が校庭の端でそれを聞いているのを見た。子供の声は実によく通っていた。演劇を始めた頃の発声練習を思い出した。
こういう練習は広いスペースがないとできない。思い出すのは、部室前に先輩が立ち、その先輩から数百メートル離れたところまで歩き、怒りを込めて振り返り、「バカヤロー!」と叫ぶ練習だ。大学の敷地内だからできた稽古だが、ああいう稽古、後輩達は今もやっているのだろうか?

午後、規約についてメールがきた。一読したところ、制限はそんなに厳しくなかったので、了解した旨を返信したが、もっと熟読して意見を書いてくれ的な返事がきた。実際はそう書かれていなかったのだが、了解したと返信したメールに対しての補足メールだったので、んん? なんか細けーぞ? と感じた。それも、変な細かさだ。

自転車でまっすぐ帰宅。下り坂が多かったのに、行きよりも2分余計にかかっていた。青梅街道沿いを走ったため信号で止まることが多く、その分のロスではないかと思った。

夕食に、キャベツとプルコギ肉の炒め物、ポテトフライ、きゅうりのぬか漬けを食べた。

急に、昔の大塚あたりのことが気になり、Googleのストリートビューで過去の風景などを見た。

大塚は、二十代の頃に通っていた養成所の稽古場があったところである。一年間通ったうち、最初の半年間がそうだった。何度もダメ出しをされ、這い上がろうともがいていたのも、その半年間だった。

稽古場の斜め向かいにボロボロの中華料理屋があった。出前を中心に営業しており、店の前にはいつもスーパーカブが何台か止められていた。

その店はもうなくなってしまったのだが、2009年のストリートビューを見ると、建物はまだ残っていた。ただし、営業はしていないようで、カブはなく、壁にはツタが這っていた。

一回だけ、その店で食べたことがある。外見同様中も汚かったが、味はまあまあだった。

その店から少し離れたところに小さい公園がある。稽古は場面ごとに分かれたチームごとに行われたので、出番のないチームは稽古場を出て、その公園で自主練をした。季節はちょうど今頃だった。芝居がうまくいかず、チームの人間関係もあまり良くなかったので、自主練時間は憂鬱だった。そして、我々のチームが一番厳しいダメ出しを受けていた。

ある時、我々のチームがあまりにも良くないので、昼の3時くらいに全体稽古が終了となり、みんなで気晴らしに後楽園ゆうえんちに行くことになった。ゆうえんちには行ったが、自分たちができないから稽古が中止になったように感じ、乗り物に乗っても気分は楽しまなかった。

あの頃は、朝起きると憂鬱だった。またダメ出しされに行くのかと思った。芝居を始めてからずいぶん経つが、そういう日々を送っていたのは、大塚に通っていた半年間だけだ。それでも、もっと昔の世代に言わせれば、オレ達はずいぶん手加減されていた。

じゃあ、パワハラだったか? と聞かれたら、そんなわけないと言いたい。筋肉を成長させるために負荷で損傷させないといけないように、技術や精神にも同じことがいえる。

問題は、負荷の質だろう。小出しにせず、ばしっとキツいことを言われた方がいい。本質をずばりと突かれて、ぐうの音もでないようにされたほうがいい。