『風立ちぬ・美しい村』読む

7時起き。朝飯にカレーライス食べる。

父から、CSの時代劇専門チャンネルの加入申し込みを頼まれる。PCで申し込みをしてみたが、口座登録でエラーが出た。

父、現在は二週間の投薬期間中らしい。期間中は頭がボーッとするし、認知能力も落ちるのだが、母がそれを認知症であるかのように言うので、父は反発し、おれは認知症じゃないと怒っている。二人とももう八十四歳なので、たとえそうなったとしても、自然の摂理としての恍惚であり、若年性のものでないのは明らかだ。

7時40分に家を出る。地下鉄の中でもう一度申し込みをしてみるとうまくいった。

午前中、新しく作るツールの基本機能部分を実装した。

昼、肉団子とけんちん汁食べる。

堀辰雄『風立ちぬ・美しい村』読了。
死と背中合わせの生にある無垢なるものとしての純愛だが、生命力に溢れた読者はどう読むだろう。
映画『風立ちぬ』のエンディングには、「堀辰雄に敬意を込めて」というメッセージが映し出される。そして現在のところ、宮崎駿の最後の作品がそれだ。
最後の作品だからこそ、心の底にしまっておいたものをさらけ出したのだろうか。
おそらく、学生時代の宮崎駿は、外に出て活発に遊び回るような青年ではなかったと思う。本を読み、絵を描き、内向しつつ自己形成していき、アニメの世界に入っていったのではなかろうか
宮崎駿が堀辰雄を愛読していたという過去は、違和感なく想像できる。あの映画が、他の宮崎作品と比べて異質に感じられるのは、それまで人に見せたことがなかった、自分が持っている無垢なるもののイメージの源泉を、最後の作品だと思ったがためにさらけ出したからだろう。
それを思いながら、あの映画にたくさん出てきたキスシーンを見ると、共感性羞恥に近い感情をかき立てられるかもしれない。
でも、そういうのを出す、ということができてこそ、作家だと思う。だからあの映画は、『紅の豚』とは意味が全然違うのだ。

午後、新ツール関連作業に疲れたので、既存ツールの修正に手をつけた。すでにコードがたくさん書かれているので、バグを刈り取ったりしつつ、修正箇所にコメントを書き込んだ。コメント書き込みが一番面倒だった。

業務の打ち合わせをほんの少しする。

夕方、ゆっくりペースで自転車帰宅。50分かかった。

夕食に、キャベツと牛肉の炒めもの、厚揚げ、かぶのぬか漬け食べる。

9時から課題の稽古。芝居でも何でもそうだが、稽古と稽古の間に休みが数日あった方が進歩することがあるなあと実感した。

『貴ちゃんねるず』を見て、12時過ぎ就寝。