『ノマドランド』見た

5時10分起き。外はギリギリまだ暗かった。

朝飯に、昨日買ったまぐろをキムチの素とごま油と蜂蜜に漬けたポキにして、お粥にのせて食べた。

7時40分過ぎに家を出る。

午前中、既存ツールの建て増し作業する。時々、アギト氏がロビー活動をしている声や、キーボードを強めに叩く音が聞こえてきてイライラする。俺はどうも雑音系にイライラしやすい。

昼、『喜楽』でもやしそばと餃子。町中華らしい店だった。

読書猿『独学大全』読み始める。

午後、建て増し作業の続きをする。

夕方、自転車で大塚へ。北口の『美濃屋』でカツ丼を食べた。この店は東十条『みのや』にいた人が独立してオープンしたらしい。カツ丼と一緒に豚汁が出てきて、そういえば『みのや』のとんかつ定食もそうだったっけと思い出した。
カツ丼は美味かったが、たぶん普通のとんかつ定食の方が美味かったろう。とんかつが美味しい店でカツ丼を頼むべきではないと思う。しかし、大塚なら東十条より来やすいし、劇場がある関係で来る機会も割とある。

池袋に向かう途中、二十代の頃に通っていた演劇スクールの稽古場近くを通った。懐かしかった。住宅街のど真ん中にぽつんとあったデイリーヤマザキがまだあるのがちょっと嬉しかった。
稽古場に使っていたビルは、建物はそのままだったがビル名が変わっていた。所有者の息子は同じ演劇スクールにいたので知っているが、ビル名が変わったということは、彼の持ち家ではなくなったということだろうか。彼は今どこで何をしているのだろう。

6時45分から、池袋TOHOシネマにて『ノマドランド』見る。フランシス・マクドーマンド主演。
家を持たぬ車上生活者となった60歳以上の人々の話。彼らは自分たちのことを『ノマド』と称している。
Amazon配送センターは荒野に建てられており、そこでの季節労働はノマド達にとって格好の稼ぎ場となっている。駐車料金がタダだからだ。
フランシス・マクドーマンド演じるファーンは、かつて鉱山町に住んでいたが、不況のため閉山し、町自体がなくなってしまった。夫も死に、一人になった彼女は、経済的理由からノマド生活を選んだ。
Amazonの仕事がない季節になると、ノマド達は、国定公園の清掃、食堂の店員、農場の収穫などの仕事をしながらアメリカ中をさすらう。ノマド達が集まる土地があり、時々彼ら同士は集まって、情報を交換したりする。
映画が始まり、最初のうちはファーンの境遇を(辛いなあ)と思いながら見ていたのだが、途中からいつの間にかそう思うだけじゃなくなってきた。食べ、働き、移動し、昔の写真を眺め、くしゃみをし、寒さに震え、フルートを吹き、仲間と集まり、別れ、昔の家を訪れ、水浴する。それらの行為をするファーンをカメラが淡々と追い続ける。排泄のシーンまであるが、人間なら誰でもする行為だなと思いながら見ることができる。フランシス・マクドーマンドはすべての場面でそれらの『生きる様』を、隠さず素直に行っている。気負いのなさは障壁を作らず、映画を見る者の心情を強烈にファーンと結びつける。我々もノマドになってさすらっているような心地になる。
そして不思議なことに、格差社会への怒りをかき立てられることがなかった。途中、ファーンガ姉夫婦の家に泊まる場面があり、そこで姉の夫や客が不動産ビジネスの話をするのだが、羨ましく感じなかった。
もちろん、ノマドを大量に生み出す社会システムが正しいとは思わないが、その状態を『怒りの葡萄』方式ではなく、人が生きることの本質を捉え直そうとし、不思議な静謐さで表現したのがこの映画の画期的なところだと思う。
監督は女性だった。クロエ・ジャオ監督。やはり女性だったか、と思った。

8時半過ぎに外へ出ると少し寒くなっていた。自転車をゆっくり漕ぎ、住宅地を抜けて山手通りに出て、大久保通りまで南下した。そこからはいつものルートで家に帰った。
途中、サミットで上善如水を買った。なぜかこれを飲みたくなった。

10時帰宅。上善を飲んだ。

1時40分頃就寝。