過去狩り

暗いうちに目が覚めた。キッチンの椅子に座りレーズンを食べ、コーヒーを一杯飲んだ。時計を見ると2時過ぎだった。
寝直して4時に起きた。2時に起きた時よりも眠かった。外はまだ暗かった。

コーヒーを飲み、40分くらいうだうだしてからブログ更新をした。

水耕栽培の水をバケツ二杯分補充した。容器のふち一杯まで水位が上がった。
収穫できるほど赤くなっているトマトはなかった。

朝飯に、ご飯、ゴーヤのぬか漬け、トマト、桃屋の瓶詰め。

7時前に家を出る。電車で現場へ。8時前に着いた。SQLの勉強を30分、『シネマの扇動装置』を20分ほど読む。

午前中、ゴッド氏のツール作業をする。ゴッド氏と関数の答え合わせをして、手動で出力する値にツールの式を合わせた。

夕方、eTさんと話す。サーバーの権限がもらえないことを愚痴る。
「依頼された部署のフォルダが見られないのにツールを作っているんですぞ。普通、そんな状況でツールを作るなどあり得ません。フォルダに入れないので、ファイルを都度添付メールで送ってもらうしかないのです。その保存先にはフォルダがあるに違いないんだと想像しながらツールを作っているのです。壁の外に出ていくことを夢見ていた頃の『進撃の巨人』アルミンみたいな表情で、『きっとそのフォルダにはたくさんのファイルが格納されているんだ…エクセルとかCSVとかPDFとか…ああ、見たいなあ…』などとつぶやきながらね」

夕方西葛西へ。
アコレで、せんべい、どら焼き、素麺のつゆ、炭酸水、ハムを買う。
6時50分実家帰宅。夕食に素麺食べる。

9時まで母と話す。小山田圭吾の話する。

反論を許さないバッシングの空気ができているが、90年代半ばになぜこの記事が世間的にスルーされたかについての議論は聞かない。そっちの方が重要なのに。なぜなら、令和3年現在も同じようにスルーしている何かはありうるからだ。

太田光の発言はその点をついたものだったが、あっという間に火に油を注いだようになってしまった。

太田光が言った『その時代の空気』だが、問題となっている雑誌が発売された1994年頃の空気とは、才能のある人間の毒舌を許容する空気であった。松本人志の『遺書』が瞬く間に200万部売れるような空気だ。『遺書』にはそれほど毒はないが、もっとあったとしても売れただろう。

『遺書』を読んでいると、世界には松本の笑いがわかる奴とわからん奴がいるが読んでいるお前はどうや? と問われているような心地がした。そして1994年の多くの若者が「もちろん松ちゃんが正しい!」と、強く思ったのだ。

もちろん、松ちゃんが面白かったからそう思ったわけだが、当時の若者達は、自分からあえて強くそう思うことで、時代をいち回転させたがっていた。1994年は、イチローが200本安打を達成し、たけしがバイク事故を起こし、タランティーノが『パルプ・フィクション』でパルムドールをとった年だ。80年代の延長期間は明らかに終わっていた。

で、小山田圭吾だが、94年というとフリッパーズギターは解散している。フリッパーズギターは、どちらかというととんがった感じでアーチスト性をアピールしていた。不遜さを表現しようとしている、とでもいおうか。94年時点でも小山田はフリッパーズギター時代と変わらぬその感じを、アーチストの顔として持っていたように思う。

で、時代の空気がある。才能がある男・小山田がいて、雑誌のインタビューがあり、小山田は色々語る。語りによって彼は当然、話を盛る。編集者は、盛らせる。その方向性を作るのは『不遜さ』だ。そのことを彼は緻密に計算したわけではなく、たぶんフリッパーズギター時代と変わらぬ感じで、なんとなくやっていただろう。インタビューする側は、時代の空気として、まさに『そんな感じの言葉』で誌面を埋めたいわけだから、いただき、となる。

両者とも同意した『盛り』が、21世紀になって以降、2ちゃんねる時代から数回繰り返される炎上を招いている。

問題なのは、いじめが正しいか? という問いをここでするのは正しいことなのか? ということだ。多くの人は、そんなのは正しいに決まっており聞くまでもない自明のこととして、ひと思案もせずに腹を立てている。

そりゃオレだって腹立たしい。なんということをしやがるんだと思うし、もしやれらたのが自分の息子だったら、いじめた奴にチョークスリーパーのひとつもしてやりたいと思う。が、オレには息子はいない。小山田が実際にそれをしているのを『じかに』見たことはないし、それをされたという人の訴えを『じかに』聞いたことはない。

小山田のクラスメートは、彼は近寄りがたい男だったとしながらも、発言は盛っているんじゃないかと取材に答えていたらしい。だろうな、と思う。

過去狩りをしてはいけない、とは思わない。狩らねばならぬ過去は、たっくさんある。

ただ、たとえば1940年頃のドイツにSNSがあったとすると、当時バズった発言やたくさんのイイネをもらった発言は、戦後もれなく炎上リスト入りするだろう。「ユダヤのガキを殴って歯を全部折ってやったぜ」的な発言だ。

なんでそんな発言が許されたのだろう? いや、SNSがあったわけじゃないが、あったとしてそういう発言がイイねされていたも同然の社会だったのだ。たぶん、言った本人でさえ、なぜそんなことを自分が言えたか、正確にはわからないだろう。戦後になり、隠すもの、恥じるもの、開き直るもの、色々いただろう。確かなことは、人はいつだってそういう発言をしうるのだ、ということだ。小山田みたいに。

かといって、人はそういう発言をしうるのだから、小山田は許すべきだ、ということではない。彼の発言内容が許されないのは、はっきり言って正しい。ただ、現在まかり通っている、『許さない方法』に対して、いかがなものか? と思うのだ。

なるほど、ニュースになっているし、ネットでは炎上している。でもそれって、『彼の罪を許さない行動』なのか? そうは思えない。多くの人は半年もしないで、その熱が冷めるだろう。それって、『オレが怒っている間はいじめを許さない』ではないか。『デビルマン』の5巻ではないか。

『許さない』ことが正しくできないと、のちに、正しく許すこともできないような気がする。ほとぼりがさめるイコール許す、ではないだろう。