歯の治療跡の再治療

実家なので早起きは諦め、6時に起きてシャワーを浴びた。
朝飯に、ご飯、鯵、大根おろし、桃。

電車で現場へ。
昨日、ゴッド氏に言われた仕様変更を実装する。月ごとのデータを一気に出力したいとのこと。やりましょう。そういうの得意でげす。

7時半に家を出る。地下鉄で現場へ。
蓮実重彦『シネマの扇動装置』読了。80年代初頭に連載していた、主に映画関連の連載コラムというべきか。評論というほど堅苦しいものではない。かなり笑える。笑える、と言っていいと思う。

午後、ゴッド氏の仕様変更の実装が完了する。

夕方、神田へ。歯の定期検診。
最近、担当医が、『クロノトリガー』の発明少女ルッカみたいな人に変わった。ルッカみたいにおれの歯を見るので落ち着かない。「ええと…ここをこうやって…あれ?」とか言われそうで怖い。

左上にある、昔治療をしたところを、再度あけて新しく治療したほうがいいと勧められる。時間が経っているし、治療箇所は劣化するからだという。記憶にある限りそこは2009年あたりに治療したところた。お願いすることにした。

いなげやで買い物をして、9時帰宅。

オリンピック、まだ始まってもいないのになんだが、開催できて良かったと思う。

正確に言えば、何もかもうまくいかないという形で開催できて、良かったと思う。

その理由は、今回のオリンピック誘致が、1964年の古き良き時代よ再びみたいな、過去の成功体験をなぞって日本の経済や文化や国威を一気にまとめて回復させちゃおうという虫のいい意図が背後にあったように思えており、そういうのが一気に潰え、残ったのは選手と競技だけという状態になってきたからだ。

最後に残ったのが選手と競技だったら、それは守らねばならない。オリンピックとは何かというお題を考えるのに、これほどふさわしい状況はまたとない。日本は歴史的幸運に恵まれたとさえ言える。だって、おれなんかのアドレナリンやドーパミンのためにオリンピックがあるわけないのだ。こういう形で一度開催されるということが、オリンピックの歴史には必要なのだ。メダルさえ、なくてもいいと思っているくらいだが、それはさすがに極論か。

反対されている『開催』って、こうして残った『選手だけ』『競技だけ』のことをさしてはいないと思う。それらを包み込む、式典とか中継とかコカコーラとかのことだろう。会場のどこかで誰かと握手する森喜朗とか。