『TOKYO YEAR ZERO』読み始める

4時起き。寒かった。

Tさん依頼のワークシート作業をする。もらったプリントアウトにあったデータを地道に入力しても、らちが明かないような気がしてきた。要望としてすでに聞いている機能をばんばん実装して、どしどし見てもらった方が早いだろう。オフィス内で作業しているなら簡単なのだが。
ともあれ、地道に進める。

5時過ぎ、入浴する。寒さゆえ。

椎名誠『哀愁の街に霧が降るのだ』読み返す。

水耕栽培の養液を補充する。土曜日にかなり大がかりに摘芯をした。花が咲いた先端部分はあらかたカットし、実がついているところの上下にある葉のみ優先的に残した。新しく育った脇芽も、実がついていないものはカットした。9月になって一番初めに結実を始めた実は、7月に収穫したトマトと比べても遜色のない大きさに育った。8月に育ったものより大きい。8月はやはり暑すぎて、実を育てるには不向きな季節なのだろう。今年それを思い知った。来年やる時は8月のみ、あえて日よけを作った方が良いかもしれない。

朝、出かける前に自転車の空気圧を調整した。

デイヴィッド・ピース『TOKYO YEAR ZERO』詠み始める。
夏から『存在と時間』などという身の程知らずの大著に挑んでいるため、小説を読むのが数億年ぶりのような気がする。数億年後地球はどうなっているだろう。
昭和20年8月15日の正午近く、女の死体が発見された通報で刑事達は現場へ行く。女は絞殺体で見つかる。腐敗しつつあった。憲兵がやってきて捜査の指揮を執る。容疑者の朝鮮人が見つかる。そのタイミングで玉音放送。憲兵は錯乱しつつも、容疑者を切りつけ、地面に埋めろと刑事に指示する。
冒頭からカオスにまみれた、この世の終わりのような光景の描写だった。ドキドキした。

夕方、自転車を漕ぎながら、朝空気を入れたことで漕ぐのがとても軽くなったことを感じていた。今まで空気圧調整についてぞんざいすぎたのだ。

6時20分帰宅。入浴後、夕食にフルーツグラノーラとミルク、冷凍していたパンケーキ。

ヒマ続きの昼のせいか、夜であるという事実のせいか、夜は早朝よりもやる気が出なかった。やることはたくさんあるのに手が出ない。意欲が起きない。そんなに疲れていないのにそうなっていた。

10時就寝。タオルケットと毛布ではなく、毛布の代わりに掛け布団を被った。