バルスバルス連呼癖

朝4時起き。二度寝せず、朝飯の支度をする。

ご飯、マルシンハンバーグ、目玉焼き、ねぎ納豆、なすのぬか漬け食べる。

燃えるゴミを捨てるためドアをあけると、昨夜片付けて袋にまとめていたゴミ袋がまたしてもあけられ、中身が周囲に散乱していた。カラスに目を付けられたらしい。

インベンションと、沈んでいった鍵盤の練習をする。苦手箇所を見つけるようにして一度さらえて、部分部分を繰り返し練習した。

8時40分過ぎに家を出る。

一昨日、家を出て自転車に乗り駅に向かおうとしているとき、近所の犬に間近でいきなり吠えられ、大変驚いた。その後、だんだん腹が立ってきた。もし転んだらどうしてくれるんだと。そして、転んだ場合に自分はどうするだろうと想像した。

今朝、現場に着いて、一昨日のことがあってから折に触れ妄想した内容を文字に打ち出してみた。

読んで、かなり引いた。恨みがましいにもほどがある。たかが、「ワン!」と吠えられただけなのに。

腹が立ったりムカついたりしたときに、想像上で復讐することは、誰もが一度はしていることだろう。しかし、想像上の復讐にはドラマがあり、ドラマにはドラマツルギーがある。

そして、オレのドラマツルギーにはいささか問題がある。

復讐がエスカレートし過ぎ。いくら想像上でもやめ時はあるだろう。

『ラピュタ』にたとえると「バルス」言い過ぎ。円広志のヒット曲「夢想花」の歌詞、

♪飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで

のフレーズが、全部バルスになっている状態。

♪バルスバルスバルスバルスバルスバルスバルスバルスバルス

文明滅ぼし過ぎ。

ここ何年か、ずっとこのことで悩んでいる。どうしてオレは、想像上の世界とはいえ、バルスバルス言い過ぎるのか。しかも「夢想花」のメロディーつきで。

また、バルスを言わせる根っこの部分には、非常にダークなものがあり、それが日常で突然現れることがある。

それをオレは、ごく何でもないものであるかのように取り出し、繊細な感受性を持った人の前にさらけ出し、しれっとして得意になるということを、なんべんもしてきた。相手を傷つけたこともあった。

いい年して、オレはなんなんだろう? と思う。

昨日、オバQ氏に言ったのも、根っこは同じだ。あのように言う意志がはっきりとあったのならいい。だが、ついでのようにあんな言い方になってしまったのは、オレの欠陥だ。バグだ。

ヤバい。これ、何とかしないといけない。

治したいと、強く思い、午前中を過ごした。

昼、『タックルベリー』へ。ロッドのガイドをメンテナンスするためのシリコン塗布材を探すが、なかった。

『和合餃子』でチャーハンと餃子食べる。以前入った時は餃子を食べなかった。今日はじめて食べた。羽根がでかすぎて食べづらいが、味はなかなかだった。

午後、ヒマ。

目の前で、新しく来た同僚、てょ氏、タイガー氏が打ち合わせをしていた。忙しそうやなあと思った。

夕方、西葛西へ。実家帰宅。夕食にピーマンの肉詰め、イカと大根と里芋の煮物。

夜7時、旧江戸川へ。うひょゾーン南でシーバス釣り。根拠なく、今日は釣れるんじゃないかなあと思いながら釣りを始めた。

サイレントアサシンでジャークの練習をしてからシンペンへ。スイッチヒッター、トライデント、ダイソーシンペン。そのあとワームに替える。ジグヘッド7グラムに赤をつけてアップに投げ、岸に近いところをリトリーブしてきたときに、食いつかれた感触があった。ワームがずれていた。しかしその後はアタリなし。

流れはずっと下げていたが、水門の開き加減からか、速くなったり普通になったりと変化があった。ベイトが上流から流れてくるときにだけボイルが湧いた。ベイトが群れていそうな流れの向こうからシンペンやワームを流してみたが、だめだった。

最後に、久しぶりにローリングベイトの55を投げた。4月頃にマイクロベイト対策として買ったもの。小さいベイトをねらうシーバスが反応してくれないかと思ったが、これも反応なしだった。

10時納竿。しかし、投げ続ければ釣れそうな気もした。

帰宅し、AKIRAセーターの右袖を接ぎ合わせ、鎖編みで胴体にくっつけた。あとは左袖をくっつけるのみ。

1時20分就寝。