5時起き。
顔を剃って歯を磨き、5時半にチェックアウトした。
宿近くの大石公園で、河口湖の向こうにそびえる富士山を眺めた。

富士山クライムランスタート会場の駐車場に向かう。
河口湖大橋を渡る時、歩道を散歩している二人組の男女がいた。男は坊主頭で、女は介添人風だった。男は左腕を前に伸ばしており、女は点滴スタンドを押していた。入院患者の散歩だろうか?
6時過ぎ、駐車場到着。
スタートはウェーブ方式で、申込時に自己申告したハーフやフルマラソンのタイム順に、20グループに分割して行われる。自分のグループは15番目なので、スタート時刻は9時40分過ぎだった。6時だと、3時間以上時間があった。
シートを倒し、8時近くまで車の中で寝なおした。
8時、外に出て、駐車場の端っこで、持参したフォームローラーで筋膜リリースをする。それを終えてから、荷物を持って体育館へ行き、荷物を会場に預ける。
参加者を見渡すと、ほとんど全員の体つきが、ガチでマラソンをやっている人のものだった。サブ3.5は当たり前のランナーだろう。腕が棒のようになっていて、上半身に無駄な肉はなく、足は引き締まり、日に焼けていた。
9時に最初のグループがスタートしたが、自分のスタートまでにはまだ40分あった。会場そばの坂を試しに走って駆け上がってみたが、すぐに息が上がった。駆け上がるようなペースではまだ走れない。
ウエストポーチに経口補水液 OS-1 をセットし、アミノバイタルを中に入れた。9時20分頃にトラックの中に入り、15グループの後ろの方に並んだ。

会場から見える富士山は、頂上付近は雲がかかっていたが、五合目あたりは晴れていそうだった。
9時42分、我々のグループはスタートした。
トラックを走る時、左足の甲が少し痛んだが、走っているうちに気にならなくなった。トラックを4分の3周回り、スタジアムの外に出てから、スタジアムの外側を時計回りに走り、野球場の外側を走り、北麓公園を出て富士吉田線への道をまっすぐ走った。平坦といえる最後の道だった。
富士吉田線に入ってから、富士山をめがけてひたすらまっすぐ走る。手元のランニングウォッチが2キロを知らせるあたりまでは、傾斜は緩やかだった。
3キロ地点過ぎの中ノ茶屋に最初の給水ポイントがあった。スポーツドリンクを飲んだ。そこを過ぎると、道は舗装から砂利道になり、傾斜はキツくなっていった。
走行距離が5キロを過ぎる頃、傾斜はかなりキツくなり、ストライド短め、ピッチゆっくりになっていた。左横に歩いているランナーがいた。競歩みたいな歩き方だった。そのランナーを抜くつもりで走っていたのだが、いつまで経っても抜けなかった。どうやらこちらは、早歩きより遅いペースになっているようだった。
試しに、走るのを止めて、大股で歩いてみた。すると、競歩みたいに歩いているランナーを追い抜いた。どうやら、早歩きの方が早く進める状態になっているようだ。
馬返しまでの2キロを、その早歩きで進んだ。傾斜はヤビツ峠の蓑毛手前よりキツくなっていた。周りには歩いているランナーがたくさんいた。しかし、後方から普通に走ってきてスイスイ追い抜いていくランナーもたくさんいた。
馬返しに到着した時点で1時間4分だった。給水ポイントでスポーツドリンクを飲み、そこから先の登山道に挑む。
登山道の段差を上り始めてすぐ、太腿の筋肉が悲鳴を上げた。トレイルランのトレーニングは一切してこなかったので、レースの心構えで登山道を登るのは初体験だったが、7キロ半ほど上り坂を走った直後のそれは、びっくりするくらいキツかった。(冗談だろ?)と思った。これをあと4キロ続けるのか?
ウェーブスタートのおかげなのか、ランナーで詰まり、上り待ちになるポイントはなかった。逆に言えば、休みようもなかった。
1合目を過ぎてしばらくしてから、ランニングウォッチが8.6キロを計測した。しかし、それからしばらく登ってからウォッチを見ても、走行距離は8.6のままだった。上りの傾斜がキツくなりすぎたため、GPSが移動を計測しなくなったのだろうか。原因は分からなかったが、そこから先は、ゴールまで残りあと何キロかが分からなくなった。これは、意外と精神的にこたえた。
給水ポイントでスポーツドリンクを飲み、休まず進んだ。気のせいか、ロード後半よりも、周囲のランナーとペースが合ってきた。また、階段のようになっている道を上る時、えい、えい、という感じに一歩一段で登ると、後ろにいる人にけっこう差をつけることもできた。
「あと少し!」と激励してくれる登山者がいた。しかし、そこからさらに登ると、別のトレイルランナーから、「まだまだ全然先ですよ」と言われた。どっちやねん、と思ったが、時計の走行距離は8.6をさしたままだった。
3合目と4合目を通過すると、さすがにそろそろゴールだろうと思ったが、そのあたりになると、物事を考えることをしていなかった。頭の中にはただ、苦しい、きつい、という思いのみがあった。

「あと少しで林道!」と、スタッフさんなのか登山者なのかトレイルランナーなのか分からない女性から言われた。時計を見ると、距離計が復活していた。しかし、値は信用できなかった。時刻は12時を過ぎていた。少し前の時点で11時42分を確認していた。2時間でゴールできれば、翌年の富士登山競走への参加権が得られたのだが、当然無理だとわかっていた。ゴール自体のリミットは3時間だったので、それには間に合いそうだと思った。
やがて、登山道の終わりを示す柵が見えた。久しぶりの舗装道に対し、登山道は直角に合流していた。登山道を右に曲がるが、走ることはできず、なるべく大股になることを心がけながら歩いた。
ヘアピンカーブを曲がるたびに、どうせこれを曲がってもゴールじゃないだろうという捨て鉢な気持ちがあったが、三つ目か四つ目を曲がる前に、複数の人の声援が聞こえた。どうやら、そこがゴールらしかった。カーブを曲がった先に、ゴールのゲートがあった。先を歩いていたランナー達が走り始めた。続けて走る。しかし、体がスライムの海に浸かったみたいに重かった。
12時14分にゴール。

麓の町がきれいに見えた。
5合目に運んだ荷物を受け取り、ペットボトルの水をもらい、会場に降りるシャトルバス乗り場まで移動した。

ゴール地点から2キロほど移動しなくてはならなかったが、散歩ペースで歩く分には、足は大丈夫だった。息も落ち着いていた。

レストハウスなどが立ち並ぶエリアに到着。風が強く吹いていた。
雲上閣で、運んだ荷物にいれたウェアに着替え、シャトルバスに乗る。バスのシートには汗対策のため、すべてビニールがかけられていた。
バスは富士スカイラインを下って北麓公園まで走った。延々と下り坂が続き、思ったよりも時間がかかった。
公園でバスを降りると、気温は5合目よりかなり暑かった。着ていたウィンドブレーカーを脱ぎ、会場預けの荷物を体育館で引き取り、シューズをリカバリーサンダルに履き替えた。
会場で完走リストバンドをもらい、出走者に提供されている吉田うどんを食べ、屋台で巨峰ソフトクリームを買って食べた。



駐車場へ行き、車のドアを開けた。昼間の日差しで中は相当暑くなっていたので、後部のドアを開けて少し空気を通した。
2時半に会場を出た。
河口湖ICから中央道に入った。途中、谷村PAに寄りコーラを買った。
大月から東京方面に入ってすぐ渋滞があった。トンネル内で追突事故があったようだ。家族連れが車から降りて、両親と子供二人がトンネル内の側道にたたずんでいた。子供連れというところが気の毒だった。
少し行くと再び渋滞に捕まった。今度のは結構ながく、小仏トンネルまで続いていた。そのうち、車を返却する時間に間に合わなそうになってきた。
八王子から先は順調に流れたが、返却時間は微妙だった。そのうち、高井戸手前で10分ほど渋滞というナビのアナウンスが流れたので、手前の調布で降りて、昨日と同じように東八経由で自宅方面に向かった。
途中、信号で止まっている時に、アプリで返却時間を15分延長した。
5時32分、返却するパーキングに着いた。すべて手続きを終えたのが5時40分だった。延長しておいて良かった。
6時帰宅。洗い物を洗濯機に入れ、風呂に入り、いなげやへ行き肉とチルド餃子とビールを買って来た。
肉と餃子を焼き、ビールを飲んだ。
大会のサイトで自分の記録を見た。ネットタイムは2時間32分。ゴールした1670人のうち、順位は1400番台後半と、当然のように遅かった。
それでも、完走は完走だ。8月23日の時点では、棄権した方がいいかもしれないと思っていたのだから、その時に比べると上出来だ。
やはり、体は重かったと思う。5月のマラソン時よりは軽くなっていたが、この体では馬返しまでをペース良く走るなんて無理だ。体重を落とすため、MCTオイル摂取と糖質制限を併用しはじめたのが8月24日だった。それから3週間で、大体3キロくらいは減ったが、水増し部分が減っただけで、体脂肪が減ったとは言いがたい。それでも、やらないよりはマシだった。
フルマラソンの時と比べて、レースに出る時の体重についてかなりシビアに考えるようになった。
馬返しを過ぎて登山道を上りながら、もう絶対こんなレースに参加するのはやめようと強く思っていたが、家に帰り、自分の記録を見て、これまでの練習を振り返ったりしていると、また来年も参加したくなってくるのが不思議だ。そのためにはやっばり、さらに思い切って減量しないといけないだろう。
11時半就寝。