『猫のゆりかご』昨日読了。
ヴォネガット自身を思わせる作家が主人公。新作を書くために、原爆が投下された時どこで何をしていたか、彼は関係者にインタビューしている。その過程で「アイスナイン」を発明した科学者の子どもたちと知り合い、ボコノン教の導きで、サン・ロレンゾ共和国に赴く。
この作品のあと、ヴォネガットは『スローターハウス5』を書くのだが、本作に出てくる作家の行動は、『スローターハウス5』執筆時のヴォネガットと軸が同じだ。第二次世界大戦に巻き込まれた人間の一人として、あれは一体何だったのかを小説の形で表現しようとしている。しかし『猫のゆりかご』時点では、そのテーマとしては結実しなかったというわけだ。
仕事の方は相変わらず改修作業が続く。イライラの種はだいぶ減ってきた。減ったと感じるのは改修が進んでいるからだ。ということは、この種はツールそのものに存在していたということだろうか? 過去の管理者たちはその種に精神を侵されてきたのではないだろうか?
昨日イライラしたのも、その種のせいだとすれば、気をつけろオレ、である。「お前らの思う通りにはしねえよ絶対!」と、三沢光晴みたいに突っ張らないといけない。
夜も相変わらず、新規セーターを編む。そして、伊勢海老おじさんと、インベンションの練習もする。インベンションはミスなしに最後までいく確率がまだ低い。「なんでミスタッチするんですかねえ」と師に聞くと、「慣れだ慣れ。気にすんな」と答えが返ってきた。
しかし、ミスタッチの根っこにある種は、シーバスを釣れなくさせ、編み物の目を落とさせているような気がする。
シーバスが釣りたい、ではないのだ。
シーバスが釣れる人間になりたい、なのだ。
夜、実家へ。夕食にニラレバ炒め。
明け方の釣りのため、10時就寝。