能代の王子様

朝、8時頃起きる。

朝飯に、冷凍してあったソースを解凍し、カレーライスを食べた。

雨はまだ少し降っていたが、天気予報では昼過ぎにやむ予報だったので、洗濯をした。洗濯機が止まった頃に雨はやんでいた。

10時頃、家を出る。和田サービスへ行き、借りていた本を返す。

中野へ。

駅前の図書返却ポストで本を返す。

線路沿いを西に走り、阿佐ヶ谷へ。

区役所で、年金と保険の手続きをする。今月分のみ。来月からまた変わるので面倒だが仕方ない。

サミットへ。きゅうり、晩白柚っぽいけど小さいみかん、チーズケーキ、コーヒー買う。

昼前帰宅。腹は空いてなかったのでなにも食べず。

午後、『波のアラベスク』を練習したり、洗濯物を取り込んだりし、6時過ぎに家を出る。

アコレで、しゅうまい、焼きビーフン、チャーハン弁当、唐揚げなど買い、8時頃に実家帰宅。夕食に、買ってきたものを食べる。

3号の一人暮らしについて話す。実家から通えるのに一人暮らしをしたことについて、母は文句を言っていた。母は、子供や孫がそのようにして家から出て行くことについて、昔から批判的である。というより、論外、と考えている。

昨日3号と少し話した時、彼は「どうしても一人暮らしがしたくて」とつぶやいていた。本心の、まさに核心を、ポツリと漏らしたように思った。ああ、わかるわかる、と思った。儂もそうじゃったけえ。(拳銃を渡し)何かあったらコレ使いや。ええ男になれよ。と、途中から仁義なき妄想が入りつつ、納得した、

ただ、どんなひと幕があったか知らないが、妹夫婦はそれを許したというところが良かった。条件つきなのかもしれないし、その条件は知らないが、彼には一人になる時間が必要だと思う。そして今の彼は、一人になることについて語る時に彼が語ること、を、豊かにしていく時期にある。いいかえれば、一人になることで、大人になる。

ということを母が理解できないのは、結婚するまでずっと実家暮らしで、一人暮らしの経験がないからだろう。父は田舎から出てきたので経験あるし、妹も就職して間もない頃に寮生活をしている。オレは言うに及ばずだ。

そして今の母は、父が死んだことで、人生で初めての一人暮らしを経験している。当初はどうなることかと思いもしたが、あちこちに老友がおり、毎日スポーツクラブに通い、息子のオレはシーバス釣りに魂を奪われ、潮位表のスケジュール通りに実家に帰ってくる。

自分の足でどこへでも行けて、毎日必ず誰かしらと会話ができ、肉親が定期的に帰って来る環境は、たぶん、介護施設に入った同年代の人達より恵まれていると思う。大して徳を積んできたわけでもないくせに腹立たしい。前世で施した功徳がよほど大きかったのではないか。

しかし、父もオレの一人暮らしには反対だった。というより、恐れていた。
二十歳くらいの頃はまだ実家から学校に通っていたのだが、卒業したら家を出ていくということを何気なく口にしたら、父は「ここから仕事に通えばいいだろう」と驚いたように言った。こっちも驚いた。こっちが驚いたのを見て、父はさらに驚いたらしく、弱々しい微笑を浮かべながら「ここにいろよ…」とつぶやいた。

ようするに寂しかったのだろうが、親のその寂しさが、子供の成長にとってプラスになるわけがない。

父は18歳の時に秋田の能代から東京に出てきて、その後田舎に帰ることはなかったわけだが、ひょっとすると、帰らなかったのではなく、帰れなかったのではないか? 大企業に就職し、万歳で見送られるような上京を果たしたのに、その会社を二十代半ばで辞めてしまったことは、どう考えても父の人生におけるトラウマになっていただろう。

意地悪な言い方をすると、二十代半ばの父は挫折に弱かったのだ。逆に言えば、能代にいた頃の父は、勉強もスポーツもできて、友人はたくさんいて、未来になんの不安も抱いていない、輝ける時代を過ごしていたのだ。

「お父さんを言い表すぴったりの表現が思いついた」と母に言った。
「なになに?」と母。
「能代の王子様、だよ」
母は少し考えてから笑った。
「ぴったり」

そういえば昨日、1号が父の思い出話をしていた。彼は小さい頃、乗り物が好きだったので、父に色々なところに連れて行ってもらったのだが、上野公園の五重塔を見に行ったとき、父は塔の構造に興味を持ち、塔がある上野動物園の中へ、出口側から勝手に入っていったのだという。

「それで、係員に追い出されていました」

1号は静かに語った。

ああ、わかるわかる。オレが小学生の時、晴海の国際見本市で開かれた文具フェス連れていってもらったときも、入場券忘れたのに、入口の警備員に「いーからいーから」と言いながら入って行っちゃったしな。王子様ってそうだよな。