9時過ぎ起き。すぐ支度をし、9時半から作業。
といっても、締め切り系のワークは昨日済ませてしまったので、急いでやる仕事はなかった。
午前中は、トゲトゲさんツール関係でもらったテーブル定義書を眺めて過ごした。小学一年生が六法全書をめくって、「わー、字だー」と言うようなレベルで。
昼、シャウエッセン、サワークラウト、オムレツ食べる。オムレツは久しぶりに作ったが、本当に下手だ。卵料理は料理の基本だと言うし、オムレツ作りには料理に必要なさまざまな動作が含まれていると思うので、要するにオレは料理が下手なのだ。釣りと同じように。
ザワークラウトは先週漬けた。今年は5月から漬けるようになっていて、7月、8月、9月と漬けて、今回は5回目だ。瓶詰めに比べると、酸味がきっちり出ていて明らかに美味しい。
『監督の椅子』読了。長谷川和彦との対談が面白かった。『太陽を盗んだ男』の前半、ジュリーが原爆を作る場面の一つ一つは具体的描写が続いて素晴らしいのに、政府に要求するのが巨人大洋戦のテレビ中継延長とは何ごとか、という白井さんの指摘が興味深かった。白井さんは、そこは例えば10億円などの『お宝』であるべきで、映画はそうやって具体的な映像が続いて作られるものだと思っているようだった。
ここで、自分がこの映画を初めて見たときのことを思いだした。原爆を完成させるまでの具体的描写は、面白かったけど、よくあるアクション映画と同じ気分で見ていた。ところがジュリーが、野球中継を延長しろと政府に求めた時点で、急にこの犯人が自分に近い存在に感じられたのだった。
これは、白井さんの世代的な感覚なのだろうか。そういえば、映画の中でその欲求に当惑する権力側の人々も白井さんに近い世代だったろう。ジュリー側ではない。菅原文太も同様だ。
なおかつ、当時ドラッグ問題で来日が許可されていなかったローリング・ストーンズを来日させろという要求は、1979年当時の、言ってみれば、若者世代が大人たちにぶつける要求の象徴的なものとして機能していた。が、そういう象徴なりなんなりという観念的な映像作りを、白井さんは批判していた。それはわかる。具体的な積み重ねは古びないが、観念は世代が変わると「何それ?」になってしまうことがあるように思う。
でもまあ、とにかく面白い対談だった。
午後、棚さんから、夏に作ったツールの利用者から改修リクエストがきているという電話があった。改修依頼書を依頼ごとにするか、一枚にまとめるか、どっちがいいか聞かれたので、まとめてくださいと答えた。
夜、自転車でシアター風姿花伝へ。小雨が降っていたが、雨雲レーダーによるとやみそうだったので自転車で強行した。フードをかぶってこいだ。結局、劇場に着くまで小雨は降り続いていた。
7時、旧知の白石さん出演の芝居を見る。10年ほど前に共演した役者さんで、その後結婚し子供が二人生まれ、元気に可愛く育っている。
その様子を時々 Instagram で拝見しており、健やかだなあと感心していたところ、彼女自身が10年ぶりに役者をやるというので、チケットを買ってしまった。こういう、ステキママさんになった人が演じる芝居こそ、今、見てみたいものだなあと思ったからだった。
序盤、小劇場らしい演技と展開に戸惑う。白石さんは高校生役で出ていたが、他の役者も高校生役だった。小劇場は、みんなで色んな年齢を演じることが常だった。オレもじいさんとかよくやったし。
ミザーセーヌがきれいだった。役者全員が、役者のかぶりと客席に後ろを向くことを注意して動く場合、ほったらかすと、ミザーセーヌは客席に対して弓形になっていくが、そういうのがなかった。脚本的には、人物の描き方に強引さがあることが気になったが、タイトルに結びつける構成はよくできていた。白石さんは、周囲の役者と比較して、まったく違和感なく溶け込んでいた。稽古中の苦労は相当あっただろうが、それを感じさせない明るさがあった。その明るさがたぶん、Instagram の写真にも出ていたんだろう。そういう風に思うと、自分が超・上から目線で感激しているように思えてきたので、いかんいかんと首を振り、終演後はそっと劇場を出た。挨拶するのが恥ずかしかった。
新青梅街道を鷺ノ宮まで走り、サミットで買い物し、住宅地を南西に抜け、荻窪まで走った。
青梅街道沿いの『YAMAちゃん』で、夕食に味噌ニンニクチャーシュー麺の大盛りを食べた。最後に食べたのは、2015年の8月だった。以前住んでいた部屋からは近かったので、夜に時々食べに行ったものだ。食べるのはいつも、味噌ニンニクチャーシューだった。そして翌日必ず後悔するのだ。部屋に立ちこめるにんにく臭と、胃が重い感じに。翌日後悔系ラーメンと名付けたい。
しかし今日は、遅い夕食として食べたので、あっという間に完食できた。
青梅街道を走って11時帰宅。