不満がありつつも楽しむ

7時起き。

米を研ぎ、吸水している間に「潮騒」「シシリー」「笛吹き」を自主練する。

ご飯を炊き、朝飯にカレーライスを食べる。作り置きらっきょうを刻んで一緒に食べる。

稽古場にて、自主練成果を確かめる。今年は、微妙なニュアンスや強弱について考えることが多かった。自主練環境も、さすがにそろそろアップデートしなくてはいけない。

午前中、どさん子作業。今日中にやると昨日連絡してしまったのであとにはひけなかった。

しかし、苦労しているのは、求められた機能ではなく、自分が個人的に、あったら今後便利だと思える機能の実装だった。外部のaccdbにあるテーブルの存在チェックや、定義変更、新規作成などだ。

そういうのは、昔から基本的にADO ADOX を使ってきた。なんでか、というと、学んでいた時代に参考にしていた本に、いずれDAOはなくなるみたいなことが、ちらっと書かれていたからだった。

いや、そう書かれていたわけではなく、機能の普遍性においてはADOだということが書かれていたのかもしれない。当時はそれらの意味がわからず、カラオケチェーン店みたいな名称だなあと思いながら、おやつのナッツバーなどをむさぼり食っていた。

しかし、パラメーターやら、定型文字列やら、そういうのをそらで覚えることはなく、十数年にわたって、ADOで何かするときは、 「あれはなんだったっけ?」と、ネットで調べるのが当たり前になっている。料理のレシピと同じだ。数年に一回くらいしか作らないレシピを覚えてどうする。

だが、今日の作業では、DAOを使った。楽そうだったからだ。しかし、慣れていないゆえか、外部DBを開くというところで、なぜか外部DBにロックがかかったり、自ツールが読み取り専用状態になったりと、苦戦した。

動作確認を何度も行ったが、結局、自動でそれらの処理をする機能は改めて作り直した方がいいと判断した。どさん子の環境がわからないということもあるし、こちらの作り込みも甘いためだ。

昼、高円寺まで自転車で行き、『麺屋かむい』でチャーシュー麺を食べた。見た目は、昔ながらの醤油ラーメンだったが、スープがやや甘く感じられ、旨いが、昔ながらとは違うな、と思った。

亀屋で、コロッケとヒレカツを買って帰宅。

夕方、必要な改修をしたどさん子ツールをクライアントに届けた。

夜、残ったカレーに、コロッケとヒレカツをトッピングしたメタボリックカレーライスを食べた。

『ブギウギ』ため録りした分を見る。まだ11月前半。蒼井優演じる大和さんが急死してしまったあたりから。

大和さんの死がショックとかではなく、蒼井優の高級な芝居がもう見られなくなったことがショックだった。趣里さんはほんとうにかわいいが、作品のクオリティを一人で背負っている感もあり、趣里さん以外の『アラ』は、ことさら見ないようにしてしまう。全体的にちゃらちゃらしている印象があり、役者の芝居もそうだったりすることが多いので、時々、見続けるのが苦痛になってしまう。

今年の5月、Netflix で『サンクチュアリ』を見て感動したのは、まさにその、ちゃらちゃら感がなかったからだった。『ちゃらちゃら感』とは、作品のクオリティを上げることとは関係ない部分で役者がはしゃいでいる感じ、だ。楽屋のムードを見る側と、それとなく共有させるように仕向ける雰囲気だ。例えは、スズ子の実家銭湯の壁に『のぞき厳禁』とかいう紙が貼られていて、それがちゃんと読めるように撮られているとか。あと、弟くんがスズ子の舞台を見に行くとき、亀も一緒に持って行くところとか。

その二つ、なくてもいいと思う。あったとしても、絶対面白くない。それを見て、楽しいとか思うほど、日本人は娯楽に飢えているのだろうか? クスッと笑ってあげるのは、むしろ、優しさ、でしょう。その優しさは、楽屋を共有したがゆえの身内意識からくるものでしょう。

などなど、もやっとしながら見ているが、相変わらず趣里さんの芝居は、折々でキラッと光っている。くしゃっ、という笑顔が、大変かわいい。