自分嫌いとゴミ箱アイコン

朝、竹の子ご飯となすぬか漬け。

「珊瑚」を練習する。指をどう動かしたらいいのか迷うところが多々あるが、テンポはそれほど速くないので、とにかくゆっくり進める。

午前中、室内の陽だまりを確認する。9時過ぎから日が差しはじめ、正午まで窓際に置いたトマトに日が当たっていた。しかし、正午を過ぎると陽だまりの面積が小さくなり、午後1時には室内に日が差さなくなるのが分かった。

昼、トースト、コーンスープ、オートミール。

午後、トマトを外に出した。これにより、午後3時過ぎまでトマトを陽光に当てることができた。9時からおよそ6時間なので、今の時期にしては悪くない。

どさん子ツールの依頼を仕上げ、午後に納品する。大した作業ではなかったが、確認にちょっと時間がかかった。

夜、「珊瑚」をちょっと練習する。明日までに全体をさらえるのは無理だが、半分までは進みそうだった。

中日ヤクルト戦、例によって途中経過だけチェックする。2-0で負けていたが、夜9時を過ぎてから結果を確認したら、2-3と逆転勝ちしていた。オレが試合を聞かないと勝率が上がるなら、ずっとそうしていたい。どうせ気のせいなのは分かっているが、強さに安心できるようになるまで、試合観戦は控えたい。ファンの風上にも置けないかもしれない。朝起きて鏡を見たら自分が貧乏神になっているのがわかり、愛する人を不幸にしないため、わざと嫌われて実を引くような、そんな自己満足に浸っている。

そのくせ、来週の巨人戦、外野席チケットを買ってしまった。自分のこういうところが嫌いだ。意気地なし!

自分嫌いになったのは思春期に入ってからだったが、その理由は、過去のことについてやたらに記憶力が良かったせいだ。なにしろ2歳の頃の記憶も残っている。

当然、やらかし系の黒歴史も、ずっと覚えている。そういうのは、小学生くらいの時期に特に多い。

覚えた状態のまま思春期に入ると、折に触れ過去の黒歴史を思い出し、頭をかきむしりたくなるような恥ずかしさにとらわれる。高校生になった時、小学一年生の時に同じクラスにいて、途中から別の小学校に分かれたヤツがいたのだが、黒歴史が邪魔をして、口を聞くことができなかった。別に彼に対して何かやらかしたわけじゃないのだが、自分の恥ずかしい諸々を覚えているんじゃないかと思うと、怖じ気づいてしまった。高校生になっても、小学一年生のころのことをはっきり覚えているヤツなんて、そんなにいないのだけど、なまじ、自分がはっきり覚えていただけに、みんなもそうなのではないかと思ってしまった。

そして、過去の黒歴史を恥ずかしがる年齢になっても、黒歴史の生産は続けていたため、中学の時は小学生時代を、高校の時は小学生と中学生時代を、大学の時は小学生と中学生と高校時代を、社会人になってからは小学生と中学生と高校生と大学生時代を、それぞれ恥ずかしく思っていた。

幸いなことに、ここ数年は一、二年前のことをそれほどはっきりと覚えていることが少なくなったため、思い出す黒歴史で一番新しいのは、2010年代前半くらいまでとなっている。つくづく、忘れる能力は大事なのだなと思う。

自分は記憶力が良かったのではなく、忘れる能力に欠陥があったのだということも、最近分かった。脳のゴミ箱アイコンに、ゴミ箱を空にする機能が備わっていなかっただけなのだ。英単語、数式、元素記号ではなく、黒歴史ばかり詰まったゴミ箱なのに。