7時過ぎ起き。ゴミ捨てに行き、お粥と、蕪のよごしを朝飯に食べる。
午前中、根が生えるまで水につけていた脇芽を、ペットボトルを半分切った容器に移し、土を入れた。実家に持っていく用。
メロンの葉に白い粉が吹いてきた。うどんこ病と思われるので、根元に近いいくつかの葉はカットして捨てた。しかし、根絶できたわけではなく、他の葉にも広がりそうだったので、一昨年、ハダニ用に買ったお酢スプレーを拭きかけた。
昼、トーストとベーコンエッグ。
午後、図書館に予約した本が届いていたが、読んでいない本がまだあるので、実際に借りるのはもう少し先にすることにした。
夕方、サミットで、ビール、ワイン、かりんとう、水を買う。かりんとうなど、自分で買ったのは、人生で10回に満たないはずだ。
夜、戯曲を読む集いのリモートイベントに参加した。
今回のテキストは、バーナード・スレイド『セイムタイム・ネクストイヤー』だった。昔、加藤健一事務所の上演レパートリーになっており、高畑淳子さんが出ていた。
全員で交代しながら順番に読むのではなく、Zoomの別部屋を用意し、二人組チームに分かれてそれぞれ読んでいくスタイルだったため、すべての場面を声に出して読むことができた。
毎年同じホテルで、同じ日に一日だけ不倫するカップルの場面が数年刻みに展開し、トータル20年近くの不倫大河物語となっている。時代によって互いの立場、ファッションや思想、言動が変わっていく一方で、時間が経つほど相手の家族のことも知り、他人事とは思えなくなる。
不倫関係が互いの妻や夫との関係を良い方向に誘うような構造になっているところが面白い。不倫といっても、会っている時間のすべてを肉体関係に費やしているわけではなく、ほとんどの時間はおしゃべりに費やしている。そのおしゃべりが、互いのことをわかり合うための時間となっている。
これが夫婦だと、仕事、家事、家計、育児などに費やされる時間が長くなるなめ、わかり合うためだけの時間はむしろ少なくなる。つまり、不倫ゆえにわかり合えてしまったという逆説が面白い。
読み手の二人組は場面ごとに入れ替わった。途中で、旧知の大塚さんと組んだのが楽しかった。男同士なので、じゃんけんをしてどちらを読むのか決めた。勝った大塚さんはドリスを選んだので、オレがジョージを呼んだ。大塚さんの発話はとてもしっかりしていた。
最後まで読み終え、いったん解散した後、主宰の平尾さん、大塚さんと三人で、しみじみと話しながら飲んだ。大塚さんは、自分のことだけを話すのではなく、いいタイミングで平尾さんに話をふったりするなど、会話のバランスがとてもよかった。聞きながら、自分に一番足りないものを持っている人なんだよなあと、あらためて思ったりした。
30分ほどそのように飲んで話して、解散となった。
『セイムタイム・ネクストイヤー』は、実際にやってみたい本だった。30代の自分では、たぶん、できなかった。それは演技力ではなく、「わかっちゃいるけどやめられない」とはどういうことなのかを、本当にわかっているか、という問題だと思う。
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