オオタバコガの幼虫発見

7時半起き。

昨日の夜に、野菜と肉を煮込んでカレールーを入れる前の状態にしていた鍋にバーモントカレーを投入し、朝飯にカレーライスを食べた。

午前中、どさん子ツールのクランアントから、昨日送った質問に対する回答が送られてきた。すぐには理解できなかったので、地道にゆっくりと読む。

昼もカレーライスを食べた。食後、汗がものすごく出てきた。

トマトの先端部があちこち折れており、その下の葉に黒いつぶつぶが落ちていた。オオタバコガの幼虫に違いないと思い、折れた部分の周辺を探した。数匹見つけたので駆除した。実の中に入り込んでいるものも二匹いた。

オオタバコガの幼虫は、毎年7月末くらいになると見つけるが、例年だとその時期は収穫最盛期を終えているし、猛暑で葉の勢いも弱まっているため、気にすることは少なかった。しかし今年は、5月の茎折れ、7月のエア不足があったため、葉が密集するほど成長するタイミングが一ヶ月くらい遅れたため、孵化した幼虫たちにとっては、生まれ出でた世界がサラダバーみたいな状況となっており、それーっ、という感じで柔らかい先端部を食いまくったのではないか。たぶん、オレが佐渡に行っている間に。マヌケ者が留守の間に。

念入りに葉を確認し、緑色の芋虫を駆除した。トータル7匹くらいしか駆除できなかったが、おそらくもっといるだろう。これから毎日、確認していかないといけない。

午後、どさん子ツールのクライアントの回答を検討し、より細かく具体的な質問事項をまとめ、夕方メールした。こちらの解釈は大体合っているようだったが、さらに調査しなくてはいけないことも発見した。

6時過ぎ、LUUPで中野へ。

7時、HOPEで、路上役者亮佑の一人芝居観劇。

結婚式を間近にしている男が、彼女がふと漏らした秘密に拘泥し不信感にとらわれてしまうのだが、偶然彼の家を訪れた友人の助言で頭を冷やすことになる。数日後、あらためて彼女と二人きりになった彼は、なぜ自分は彼女と結婚したいのかを、訥々と語る。

訥々と語る場面は、芝居のオープニングシーンにあった。そのあと時がさかのぼり、色々あって、再びオープニングの時点に戻るという構成だ。色々あって、の部分が芝居のメイン部分で、舞台上で演じられるのだが、訥々と語る場面で、演者は舞台を降りて客席最前列に立ち、つぶやくような声量で彼女に対する思いを語った。客は至近距離で彼のつぶやきを受け止めた。

正直、色々あっての部分、つまり『芝居』部分における彼の言動や、彼女が隠していたことを知った時の反応には、疑問を感じていた。しかし、それらはすべて、最後の『訥々場面』へのお膳立てといっても良かった。舞台上の彼は、芝居をしているなあという言い方、動き、立ち姿であったが、舞台を降りるとそうしたものを剥ぎ取り、不安を感じながらも瞬間瞬間で言葉を紡ぐように喋っていた。まるで、同じ立場になった時に我々もそうするかのように。

我々のようにという感想を抱いた時点で、感想は共感へと、レベルが一段階上がっていた。それは、目の前の人間が自分に本当のことを伝えようとしている時、自分はその言葉を真剣に聞こうとするだろうという状態であり、舞台上の役者と客の自分が、一対一で向き合っている状態であった。

演出的に、今日のいちステージしか見られない作品で、生で見ることに価値がある作品だった。映像になったとしても、彼が舞台を降りたところで、自分たち側にやってきたという体感を得ることは不可能だし、その体感と訥々とした語りがあってこそ、彼は本当のことを話しているんだと信じることができるからだ。

9時前帰宅。夕食にシャウエッセン、ザワークラウト、冷凍唐揚げ。

ふと思ったが、ネット配信における、配信者と閲覧者が一対一になるという体感は、どこか小劇場的なのではないか。そう考えると、舞台作品における配信は、その『一対一感』をどう生かすか、なのだろうけど、具体的にどうすればいいのだろう。ここの部分を死ぬほど考えれば、配信を小劇場に見立てた作品が作れるかもしれないと思ったのだが。