翻訳戯曲の台詞を口語化するということ

朝、水耕トマトの葉をチェックし、オオタバコガを二匹ほど駆除した。

朝食にカレーライス。

午前中、どさん子ツール作業。クライアントとのメールやり取りが進み、作業が具体的になっている。フォームのどの部分を改修するか、などなど。

昼食にカレーライス。昨日作ったカレーはすべて食べ終えた。

左足の状態は大分良くなってきて、足を引きずらないで歩けるようになったが、走るのはまだ無理そうだ。一週間ずつ区切って様子を見て、ごく短い距離から再開する感じになるだろうか。

4時半に早退する。

5時半、春日へ。本読み会に参加。

今回のテキストは、ペーター・ハントケ『アランフエスの麗しき日々』だった。男と女の二人芝居で、事前に軽く読んでみたが、どう読めばいいのかわからなかったので、途中で読むのをやめた。

内容は、男と女が座って、お互いの話を聞くというもので、初めは女が男に、初めての性体験について語る。会話の進め方にはルールがあるようだが、それが物語の面白さと関係しているわけではなく、二人はあるルールに則って会話をしているんだなあということがわかる程度。

後半、男がアランフエスのことを語る。植物や果物のことなど色々。夢中になって語るのだが、二人が今座っている世界の雑音なども聞こえる。

すべて読み終わってから、主宰さんが、この作品が映画化されたものをPCで再生してくれた。ヴィム・ヴェンダース監督作品だった。冒頭、男と女が座っていて、戯曲通り二人は会話を始める。

違っていると思ったのは、二人のリラックスした様子だった。構えることなく、身の上話をしているかのように、普通に話していた。映画は戯曲に忠実だった。「あり得ないわ」という台詞の字幕があったが、むしろ「ないない」という口語体にした方が、表現として正しそうだった。

だがそれは、「あり得ないわ」という日本語を、口語表現として役者が表現すればいいのだ。でないと、この戯曲が面白い舞台作品になるはすがない。

逆に、役者がその台詞を口語表現として表現する努力を必要としないように、語彙や言い回しを調整された台詞で書かれた戯曲は、面白くない。

9時に会は終了。外に出ると大雨が降っていた。ゲリラ豪雨らしい。今年の夏はゲリラ豪雨がとても多い。

新高円寺で降りると、雨はおさまっていた。しかし、自転車で家に向かう途中でまた降り出した。

9時半過ぎ帰宅。

雨がやんだ隙にドラッグストアへ行き、缶サワーと、カップスターの鳥中華を買った。店を出るとまた雨が降ってきた。急いで帰宅。

カップスターの鳥中華は、まあまあ美味しかったが、卵を入れてしまったので、味が少しブレてしまった。

「とっても悲しい」という投稿を恣意的に解釈してフワちゃんを攻撃することがネットで流行っているようだった。彼女は今回、人を傷つける投稿をXでしたらしく、された人が「とっても悲しい」というリアクションをしたので、これは100パーセント、フワちゃんがその人を傷つけたことになるので、フワちゃんはひどい人間であることをみんなでSNSに投稿してもいいし、それをされるだけの悪事をフワちゃんは働いたので、フワちゃんはどんどん仕事がなくなっていくべきだし、そのプロセスをみんながネット経由で逐一確認し続けることは、もちろん、言うまでもなく、絶対にいじめではなく、正義であるということらしい。

オレは、正義が苦手なので、正義の味方の人々には大変申し訳ないし、意気地なしと言われても仕方ないのだが、なんとなしに、そっち側にはいかないように気をつけている。理由は、同じような投稿を反射でしてしまうことが、自分にもあり得ると思うからだ。それがバレたら大変だから、秘密にして、そっと、正義の味方の人々にバレないようにして離れておく。