二十代の手帳

9時半から作業。そろそろどさん子ツールにケリをつけなきゃいけない。ややこしい条件分岐を整理し直す。

昼、納豆ご飯と、ミニコッペパンのホットドッグ。パンはとても小さく、シャウエッセンがはみ出すほどだった。

午後、どさん子ツールの条件を調べ直す。以前やった箇所をちょっとだけ修正すれば済むと思っていたが、どっこい、他にも直さなくてはいけない部分を発見した。危ない危ない。

夜、ありもので何か作れないかなあと冷蔵庫や野菜置き棚を見た。ザワークラウトとシャウエッセンがある。ビールのつまみとして食べるなら、ボイルしたソーセージにザワークラウトを添えるだけでいいが、夕食にしたかったので、ネットでレシピを検索し、ザワークラウトとソーセージの煮込みを作った。玉ねぎとジャガイモ足し、ブイヨンスープとお酒で煮込むだけ。夕食にそれと、トースト、目玉焼き、コーンスープを食べた。

『魔の山』下巻読む。今日は一気に200ページ以上読んだ。友人ヨーアヒムが亡くなったあと、クラウディアが戻ってくるが、一人ではなく、ペーペルコルンというオランダ人のパトロンと一緒だった。この人物は王様気質で威厳があり、ハンス・カストルプは嫉妬するよりも彼から影響を受けたいと思い、進んで私淑する。セテムブリーニとナフタもベルクホーフの外でペーペルコルンと引き合わせられるが、二人の論争もペーペルコルンの威厳の前では勢いを失った。ハンス・カストルプが自分のパトロンと仲良くなっているのをクラウディアは面白く思わないが、ハンス・カストルプと二人きりで話す機会があったときに打ち解ける。しかしペーペルコルンは南国の熱病にかかっており、四日に一回ペースで高熱を発した。ベルクホーフの近くにある滝へのピクニックのあと、ペーペルコルンは突然死んだ。自殺だった。クラウディアはベルクホーフを去り、ハンス・カストルプは虚無感に包まれるが、療養所に機材が導入されたことをきっかけにDJとなり、楽曲再生に生きがいを見いだすようになる。

一日に200ページ以上本を読むと、読書したことによるものとはっきりわかる疲労感がある。夜10時、ドラッグストアへ買い物に行くときにそれを感じた。パスタソースとヨーグルトと板チョコを買って帰宅。

壁掛けにしていたテレビを外し、ネットで売ろうと画策しているが、買い手はまだついていない。処分すればお金がかかるのだし、欲をかかなければいいのだが、つい。

三十代の頃は家電の多くをヤフオク!で入手していた。地デジになる前に買った液晶テレビは電源を入れてしばらくたたないと画面が映らない代物だった。しかも、買ってから2年もしないうちにアナログ放送は終了した。

その前に持っていたのは21型のブラウン管テレビだった。買ったのは相当昔で、15年くらい使っていた。

お世話になったセンパイがやっていた個人HPが、インターネットアーカイブに保存されていないか調べようとしたが、URLを覚えていなかった。で、昔の手帳に書いてないかと思い、保存してあるリフィルを調べた。URLの書き込みは見つからなかったのだが、かなり昔のリフィルも保存してあることに我ながら驚いた。21型ブラウン管テレビを買った翌年分から、つい最近の分まであった。

手帳は簡潔に事実だけを書いているので、日記と違い文章を読んで痛いと思うことはなかったが、その分、事実による客観的な自分の駄目さ加減に打ちひしがれた。

特に二十三歳のオレがひどかった。バイト先に泊まりこみ、朝9時半に起きて高田馬場のパチンコ屋に開店前から並んだりしている。その二ヶ月後、どういう別れが待っているのかも知らずに。

二十九歳のオレもひどい。歩合の仕事がどんどん減ったため、収入をパチンコで補おうとしている。数ヶ月後、二十三歳の時をはるかに凌駕する精神的カタストロフィーが訪れるとも知らずに。

手帳をあらためてざっと見ると、二十代はほんとうによくパチンコ屋に通っていた。それも、楽しみとしてではなく、家計がピンチの時に何とかしようとして通うことが多かった。止め打ちによる玉節約など、時間はかかるが確実に勝てる方法がまだ使えた時代だったのだ。

実際、稽古休みが一日もなくてバイトに行けない時など、稽古が終わってから夜の9時以降にパチンコ屋へ通い、家賃、電気代その他公共料金、丸井のカード代などローン支払い、その他緊急に必要な金を捻出したことがたくさんある。払ってからホッとして、ついでに物欲を満たそうとして打ったときは、しっぺ返しをくらった。

三十代でパチンコから足を洗えたのは本当に良かったと思う。煙草も、やめたりまた吸ったりと紆余曲折があったが、パチンコを打たなくなったことをきっかけにやめることができた。ずいぶん吸っていない。

考えてみると、二十代のうちにしでかした不始末の尻拭いと、人生の仕切り直しをしたのが三十代だったわけだ。二十代の時にちゃんとしていれば、三十代はもっとちゃんとできたはずだ。

手帳のリフィルが示しているのは、オレの二十代は明らかに人生をしくじっているということだった。誰のせいでもない。自分が選んだ結果そうなった。しかし、二十代の自分があまりにもひどいため、そこから今の状態に至るまで登ってきた延べメートル数は、相対的に高いかもしれない。

たとえば、今いるところが富士山の御殿場ルート新五合目だとすれば、オレと同い年で順調に就職した人は二十代はじめにJR御殿場線の御殿場駅から向かったようなものだが、同じ頃オレは熱海の海底でお魚と戯れており、そこから浮上するのが二十代、熱海駅までの急坂を駆け上がり、東海道線で沼津に行き、御殿場駅に乗り換えて御殿場駅に到着するまでが三十代だった。

二十代の自分に視点を戻す。今の自分が、過去のこのオレに会ったとして、どうすれば改心させることができるだろう? しかも「わしは未来のお前じゃ。これから言うことをよく聞くがよい」という類の自己紹介なしに?

たぶん無理だ。ヤツは他人の言うことなんか聞かない。表面上は真面目に聞いてるふりをして、腹の中では「おっさんが何言ってやがる」と思うに違いない。わかる。だって、ヤツはわしじゃ。

親ガチャという言葉があるが、この場合、自分がそういう人間であることは選べないという状況だから、俺ガチャ、とでもいうべきだろう。

そんなんだったにも関わらず、好いてくれる人はいた。その人たちの視線で見れば、散々だった二十代の自分にも、何か、良いところはあったはずだ。そういう風に見てくれたことが、今の自分にはしみじみ有り難い。

2時就寝。酒を飲まないと宵っ張りになるのはなぜだろう?