頭痛治まらず。
そういえば昨日の芝居は、人気DJの声に細工をして、町中の人を狂わせるという設定があったっけ。
キーンという効果音が使われていたが、まさかそのせいじゃあるまい。
おそらく9月に入って急に明け方の気温が下がり、かといって昼間が涼しいというわけでもない高原のような気温差が、肉体をして「ここはどこだ?」と叫ばしめているのだろう。
普通なら一晩寝ていれば治る頭痛も、今回はなぜかしつこい。
昨日の夕方からほぼ24時間ずっと痛ませ続けてくれる。
24時間もずっとだ。君らはアンガールズかね。
それでも夕方、頑張って下高井戸へ。
世田谷線に乗って三茶へ。
シアタートラムにて、『ダム・ショー』観る。
席は前から5列目のど真ん中だった。いい席だ。
浅野和之演じるコメディアンと、スクープを狙う浅野温子と鈴木浩介。
その3人芝居。
英国の戯曲らしいということは、芝居を観ていてわかった。
目当ては浅野和之の演技のみだったけど、一番声が通っていたのが浅野温子だったのは失礼ながら意外だった。
浅野和之演じるバリーはコメディアンだが、ジョークそのものよりも動きで笑わせていた。
しかし役柄的には、喋りで笑わせる芸人っぽい。
つまり、我々が笑っているバリーの動きは、バリーの素なのだな。
そして、バリーが発するジョークは日本人の感覚では面白いものではなかった。
浅野和之さんの動きの細かさ、緻密さにはひたすら感心したが、戯曲と演出にはちょっと不満。
舞台転換を、薄暗い明かりの下で黒い服を着た転換要員にやらせていたのだけど、動作がもったりとして長く感じた。
戯曲は報道とプライバシーの問題を鋭くえぐるものになっているのだけど、しょせんはセレブの問題と遠目で見てしまう。
サッカーのイングランド代表エリクソン監督が、記者の誘導尋問に引っかかって失言をしてしまった事件があったけど、スクープのために罠をしかけることは、かの国ではそれほど珍しくはないのだろう。
だが、日本では今のところ、そうした問題が頻出することはないから、芝居を見てもなんだか「きょとん」としてしまうのだ。
今の日本で報道とプライバシーの問題をえぐるには、たとえば少年犯罪の実名報道問題などが身近に感じられるテーマだと思う。
だが、その問題をテーマに芝居を書いて、重苦しくならずに済ませられる劇作家は少ないだろう。
重苦しくなるのがいけないということではないが。
9時、世田谷線で再び下高井戸へ。
頭痛、相変わらず。
10時帰宅。