6時過ぎ起き。昨日は昼過ぎまで意地汚く睡眠時間を貪ったのに、夜の10時に寝ても問題なく眠れた。睡眠を食べ物に置き換えれば、まだ食うんかい? という感じだった。
起きて、炊飯器のタイマーが作動されていないことに気づいた。現在時刻の設定が1時間遅くなっているせいだった。それを直し、手動で炊飯スイッチを押した。
そのタイミングで母が起きた。炊飯器のタイマーと時刻については、しょっちゅう間違えるし、その都度やり方を教えているが、87歳であるので、ちゃちゃっと理解してサクサクっと使いこなすのは無理だろう。
むしろ、その年で炊事洗濯家事を自前でやれるこが重要だ。そうした家事を、その年になってもできることを、喜びやありがたさとして感じることができれば、倦怠感や退屈をやり過ごすためにパーッとしたことをしなくても済むようになると思う。
自分の場合は、若い時から近眼だったせいか、まだ老眼が進んでおらず、まだメガネなしで文庫本が読めるし、針に糸も通せる。そのせいか、近頃は何もしていない時に、自分の目がありがたいなあとしみじみ思い、ボーッとしながら目ん玉を動かして、色々なものに焦点を合わせたり、視野を狭めたり広げたりして、見えるということを楽しむことがある。よそから見れば、無愛想なおっさんが目を開けたままレム睡眠しているみたいなものだろう。
7時にご飯が炊けた。そのタイミングですぐ朝飯。ご飯、鰺、納豆、唐揚げ、かぼちゃ煮つけ、ほうれん草胡麻和え。
母と、セクハラについて雑談する。といっても、喋っているうちに思考が進み、途中から思っていることをまくし立てる感じになった。
「肉体的に触ることイコールセクハラというんじゃなくて、触ることで何かを奪っているからセクハラになるんだと思う。奪うのは、プライドとか尊厳。だから、触っても、相手が、なにも奪われてないと思えば、当事者同士のセクハラは成り立たないかも。森繁とか志村けんが、そういう触り方をする人だったんじゃないかな。奪うこと自体は、セクハラやパワハラ以外にも起こるから、実はそっちの方が本質的な問題だよね。だっで、セクハラやパワハラその他、社会的に認知できるハラスメントのフォーマットに当てはまらなかったら、その人はほうっとかれるでしょ。それって、『これ、ドッキリだから!』ということでみんなが笑っているから、一緒に『大成功!』と言わざるを得なくなっている人と同じだよ」
際限がなくまくしてているうち、7時40分になっていたので、あわてて食器を片付けて着替え、実家を出た。
東西線は混んでいた。電車が遅れ、9時20分帰宅。リモート環境にログインし、無事、9時半に作業開始。
いきなり、先週末にリリースしたどさん子ツールのトラブル報告があった。エクセルのウィンドウ固定がうまく動作しない現象が発生していた。
調べると、少し前にエクセル動作のロジックを、従来そのツールにあったロジックから自前のものに書き換えていた。自前のものはScreenUpdating をFalse にするものだっだ。ウィンドウ固定の対象となるエクセルはひな形ファイルだったが、対象シートが右にスクロールされた状態で保存されていたため、A列からG列くらいまでの列が隠れていた。そのため、ウィンドウ固定をRows(“2:2”)で行った時に、H列も同時に固定され、AからG列が隠れるようになっていた。
前のバージョンだと、その直前にしている罫線コピーペースト実行で、画面が自動的にスクロールされ、A列が左端にくるようになっていた。しかし、自前のしくみはScreenUpdating をFalse にしていたので、画面表示はH列になったままだったのだ。
画面固定を行うときは、Range ではなく、ActiveWindow.FreezePanes で行うため、その時点のウィンドウの状態に左右されるということを考えていなかったのだが、そもそも、ひな形ファイルを変な状態で保存しておいたのがいけない。
まあでも、せっかくなので、ツールを修正し、お昼休みに送信した。
どういうわけか、体重がこの一週間で4キロ近く増えていた。先週は酒も飲まず、それによって食べる量も減っていたのに。
たぶん、意識的に水を沢山飲むようにしていたため、それが体内に多めに取り込まれた状態になっていたのだろう。むくみだ。
昼過ぎ、生ラーメンにワカメと溶き卵を入れて食べた。
午後、U次郎さんの依頼で、ツールの分析作業をする。どこからデータを持ってきて、どのように加工するのかなど。夕方、分析結果をメールした。しかし、ツールの機能がどうなっているかなど、そういう説明には弱そうな人なので、伝わるかどうか不安。
6時過ぎ、ドラッグストアで買い物。ヤマザキ春のパンまつりが始まっていたので、ロイヤルブレッドの8枚切りを買った。いつも160円台と安く売られていて、かつ、2.5点が稼げるので、これを買うのがもっとも効率がいい。
ヤマザキ春のパンまつりになると、高倉健が一生懸命シールを集めている姿が思い浮かんでしまう。はっきりいって何の脈絡もないのに。
で、こんな感じの妄想場面が展開する。健さんが日めくりカレンダーを見ると今日は4月29日で、シールを貼ったシートを見るとキャンペーン期間は4月30日までとなっていて、貼ってあるシールは30点にあと3ポイント足りない。健さんはしばらく考えてから、よしと決心したふうに、食パンをトースターに入れるのだが、そこへ田中邦衛が「よお、いるかい?」と入ってくる。
田中邦衛が「パンなんか食ってる場合じゃねえだろう」と言ったあたりで帰宅。風呂に入る。予想通り汗が沢山出た。風呂から出て体重を量ると2キロ減っていた。
夕食に、干し椎茸の炊き込みご飯、大根の皮の漬物、煮干しの佃煮食べる。
夜、読書も書き作業もせず、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦のことなどを調べる。
連合艦隊の将官たちは、世代的に日露戦争を経験していない者が多いことに気づいた。豊田副武、小沢治三郎、栗田健男、宇垣纏、みんなそうだ。海軍だけでなく、陸軍の山下奉文、石原莞爾もそうだ。東条英機も。
彼らの多くは、日露戦争が終わったタイミングで、兵学校を卒業している。
山本五十六は例外で、日本海海戦に参加して指を欠損している。
たぶん、日露戦争にちょうど間にあわなかった世代が、太平洋戦争の時期にぴったり将官クラスになっているタイミングだったのだろう。山本五十六も1884年生まれだから、世代的には日露戦争時、まだ兵学校の学生であっても不思議ではないが、1904年に卒業し、1905年に少尉候補生のまま日本海海戦に参戦している。
山本と同じ、兵学校32期生の卒業生を調べると、さらに面白かった。
堀悌吉。首席卒業。戦艦三笠に少尉候補生として乗り組み、日本海海戦に参戦。対英米不戦派。ロンドン海軍軍縮会議推進のあと失脚。
嶋田繁太郎。防護巡洋艦戦艦和泉に乗り組み、日本海海戦では偵察活動に従事。太平洋戦争開戦前に海軍大臣就任。不戦派。
塩沢幸一。戦艦朝日に海軍少尉候補生として乗り組み。日本海海戦に参戦。知英派で、ダンケルク撤退後のイギリスがそう簡単に負けないと発言。病を得て1943年没。
古田善吾。巡洋艦春日艦長附として日本海海戦に参戦。海軍大臣時代、三国同盟には反対派だったが、同盟はむしろアメリカの参戦を抑止するという考えに説き伏せられ、賛成派に。
全員、日本海海戦に参戦しており、対英米参戦には反対している。実践を経験した世代には、戦争に反対する傾向があるいうことだろうか?
だとすると、現在はどうか? 実践を経験した世代は後期高齢者の終盤に差し掛かっている。終戦時点で16歳だとしても、今年96歳だ。
戦前のエロ・グロ・ナンセンス時代、大衆は戦争を止めるどころか、沈滞ムードを打破するものとして、むしろ進んで戦争を望んでいた。「いや、そうじゃない、みんな心の底では平和を願っていた」だなんて、今の時代を見て、思えるわけがない。
1945年以前の時点で、戦争に反対する人は、社会において少数派だったろう。戦争末期になり厭戦気分が蔓延したとしても、それは戦争反対ではなく、負け戦反対ではなかったか? 負け戦反対は、裏を返せば戦争賛成だ。
近頃、タモリさんが言った『新しい戦前』という言葉が、腑に落ちることばかり起きている。
元フジの長谷川豊が、フジテレビの上納システムについて、なんか言ったとかなんとかで、それを笠井アナが反論して、それに対する反論をさらにしたとかいう記事がネットに出ており、うっかりクリックしてしまった。
長谷川氏は、された側が忘れるわけないって書いていたが、された側だって忘れるときは忘れる。せいぜい、された側は忘れない『傾向がある』程度だろう。それから、反論に「イヤイヤイヤ(笑)」なんて書き方するんじゃないよ。なにその冷笑?
そんなことはどうでもいいが、クリックしてしまったのは、やっぱり、自分なりにピリピリしているんだろう。
今回の事件で露呈したのは、スポンサーも悪いということだ。各社が独自に審議して、スポンサーをおりるってなら全然いいんだが、どう見たって右へならえだろう。テレビ局、スポンサー、広告代理店は、半世紀以上も利権を分かち合ってきた関係だ。しれっと右へならえして済む問題ではない。
この『右へならえ』が、すっごく、戦前だ。不快感の源はそこにある。
そして、コンプライアンスという言葉に漂っているのは、戦前の空気だ。贅沢は敵で、勝つまでは欲しがってはいけない空気だ。