7時50分起き。朝飯に、ご飯、赤魚、豚汁。
9時半から作業。現場のLLM環境を整備し、プロンプト例などを読み返す。
実家近所のドラッグストアへ行き、段ボールをもらった。帰りに、そのあたりに住んでいる地域猫と久しぶりに会ったので、背中を撫でて挨拶した。少し痩せていた。
サイクルベースあさひで自転車の空気を入れ、東葛西のダイソーで梱包材と布テープを買い、隣のオーケーで合い挽き肉と豚ヒレ肉と卵を買った。
昼飯に、冷凍庫にあったご飯でチャーハンを作って食べた。
午後、AI関連の資料を漫然と見る。
メルカリで売れた全集を梱包し、ファミマで発送した。
夕方、中川土手をランニング。往復6キロ。ごくゆっくり走ったつもりだったのに、キロ6分を切っていた。体重が減ったからだと思いたい。
夜、メンチカツとヒレカツを揚げ、夕食に食べた。小さいフランパンで二回に分けて揚げたので、一回目に揚げたときに残った揚げかすが二回目の揚げ物に付着し、そこだけ黒く焦げたようになってしまった。一応、一回目を上げたあと、網ですくったのだが。
しかし、見た目はアレだったけど、揚げたてのメンチカツは旨かった。メンチカツは揚げたてであれば大抵旨いと思う。焼きたてのクロワッサンがそうであるように。
夜、『生殖記』読了。
小説の語り手はタイトルが示すように生殖器であるが、厳密には物体としてのそれではなく、その中にある、生殖本能そのものであるようだ。『生殖器の中の人』みたいなものか。
語り手は、人間だけでなく様々な生き物の生殖を司っており、その生き物が一生を終えたら、まるで魂のように、別の生き物に転生している。人間を司るのは今回で二回目らしく、人間のことは『個体』と呼んでいる。
今回司っている個体は、尚成という三十代の男性で、子供の頃から自分が異性ではなく同性愛者であることを自覚していたが、異性愛者が多数を占める共同体を生き延びるために、異性愛者の振る舞いを偽装していた。語り手は、そんな彼が、共同体の利益のために頑張るわけがないことを当然知っており、読者に向けて彼が感じていることや思っていることをリアルタイムで報告する。
物語は、尚成のサラリーマン生活を、語り手が逐一描写するというスタイルで展開する。同じ独身寮に住んでいる同期の個体や、後輩でSDGs推進に熱心な個体や、尚成に仕事ができる機会を積極的に与えようとする上司の個体がいて、同期男女の恋愛、後輩の退職とNPO設立、上司がグイグイくる面談などの場面があるが、それ自体はごく普通である。しかし、描写しているのが、尚成のことはすべてお見通しである生殖器であるため、描写と同時進行で絶妙なツッコミが入り続ける。これがすこぶる楽しい。
クライマックスは、SDGs推進の後輩も実はゲイだったことがわかる場面だった。彼の場合、幼い頃から両親と共同体の理解があり、隠す必要性をまったく感じないまま育っていたため、共同体へのアプローチの仕方が尚成とは正反対になっている。彼は、何かをしてやらないという形の否定を共同体に対して行っても、よその人間から見れば、そいつはただいるだけなのだと思っている。その解釈に対し、尚成はゆらぎ、語り手はそんな尚成にびっくりしている。
ラスト、尚成はお菓子作りにハマり、多めに摂取したカロリーを燃焼するため、週末は運動をせざるを得なくするという生活サイクルを生み出し、幸福感を覚えている。いい人生の循環を見つけたなあ。
ものすごく面白かった。そして、語り手のシリカルな人間批評は、近頃の色々モヤモヤする社会を一刀両断するような痛快さがあり、少し気分がすっきりした。映画化されるなら、語り手はすべてナレーションにして欲しい。俳優、声優ではない人がいい。たぶん、おばちゃん的な語りの人がベストだ。マツコ・デラックスがやったら最高だな。