孤独感

朝、喉の痛みが軽減していた。コロナ発症日を火曜とするなら、今日がちょうど五日目だ。そろそろ治りそうな感覚があった。そういうのはわかる。

中野の図書館で予約していた本を受け取りに、自転車で南台へ。5冊受け取る。

喉の痛みは去ったが、去り際に爪痕を残していくような頭痛があった。コロナの捨て台詞か。

『なぜ東京マラソン直前にコロナに罹ったのか?』という問いを、胸の奥深くにインストールしたが、それについては、直接考えることをあまりしないようにした。問いは、常に心に置いた状態にしておくことが肝要であり、答えを出すこと自体はあまり重要ではないような気がする。

とはいえ、この問いを心に抱えることで、発見はある。

それは、孤独感だ。

東京マラソン直前にコロナに罹り、マラソンを辞退すると、強い孤独を感じるということがわかった。

そしてこの孤独感は、ずっと会っていない人々に対し、どうしてあの人は自分を避けているのだろうとか、あの人は自分のいないところで自分の悪口を言っているに違いないとか、理由のない疑心暗鬼も生じさせている。

その疑心暗鬼には覚えがあり、かつて、芝居の稽古中に何度も苦しめられたものだった。

孤独感の要因は、自分が、受け入れられたいと思う場所に受け入れられなかったこと、である。

コロナ感染での東京マラソン棄権は、受け入れられたかったのに、受け入れられなかったという体感と、ぴったり一致している。

時間がたつごとに、喉の痛みは消えていった。たぶん、明日になっとほとんど感じなくなっているだろう。代わりに、頭痛が少し強くなった。咳も出るようになった。熱は37度1分。

先週、43インチディスプレイと入れ替えて、使わなくなった4Kモニターを、オークションに出していたが、それが無事売れた。3万円以下で買ったが、売れた金額から手数料を引いても15000円入ってくるので、十分だ。

最近、テレビとかカメラとか色々なものをオークションで売っているが、その金もトータルで6万くらいになってきた。新しいスマホを買う時の足しにすれば、ずいぶん安く機種変ができる。

しかし、売れたモニターの発送も、スマホの機種選びも、今日はまだ、やる気が出なかった。

夜、コーエン兄弟の『オー・ブラザー!』を半分以上見返す。初めて見た時よりも楽しめた。