米が家になくなってから三週間近くになる。リモートワーク環境でなければ、昼食に現場近くのランチを食べることで、そういうことを気にせずにいられた。実際、米が切れている状態は過去何度もあった。リモートワークでも、頻繁に外食をしていれば、同じく、米がなくなったことを気にしないで済む。
しかし、今年になってから外食が激減した。体重を減らそうと思ったためであるが、節約目的もある。また、自分の料理技術を少しでも丁寧にするためという目的もある。料理が上手くなりたいのではない。丁寧になりたい。
これは、釣りにも通じる。上手くなりたいではなく、丁寧になりたい。なぜなら、未来永劫、上手くなることはないからだ。自分には、釣りと料理の才能がない。だが、丁寧になることはできる。それは、才能とは関係ない。
これは、どんな分野においてもそうだ。才能がないとわかったら丁寧になろうと心がければ、捨て鉢にならずに済む。
一昨年、ふるさと納税でもらった米は、20キロもあり、すべて消費するのに長い時間がかかった。一人暮らしには多すぎたのだと思い、去年、同じくふるさと納税で選んだ米は、10キロにした。ところが、20キロの時と比べて、かなり早いペースで食べ尽くしてしまった。たぶん、今年になって自炊ばかりしてきたからだろう。
今日は、昼にサッポロ一番塩ラーメンで作ったタンメンを食べた。インスタント麺や生ラーメンはもともと好きでよく食べていたが、具は、入れるとしてもせいぜいわかめ程度だった。しかし、最近はどのラーメンを作る時でも、具はすべて揃えるようにしている。タンメンならば、肉野菜炒め。ラーメンならば、メンマとナルトとゆで卵とチャーシューとねぎ。うどんならば、甘辛く煮つけたお揚げや、カレー汁。そうしないと、米なしの自炊生活におけるレパートリーが、もたない。
困るのはぬか漬けだ。先日きゅうりが安かったので買おうと思ったが、ぬか漬けにしてもご飯がないことに気がついてやめた。こればかりは、ご飯がないと厳しい。酒のアテになるっちゃなるが、酒も平日は飲まないようにしている。
朝、7時半起き。トーストとクリームシチューを食べ、9時半から作業。昼は、先ほど書いたようにタンメン。午前午後と、マイペースでどさん子ツールのドキュメント作業をした。
夜、『昭和史 戦後編』読む。半分以上まで進んだ。吉田茂以降の首相には、それぞれ、自身の任期においてかならず実現しようと決意したテーマがあったという部分が面白い。吉田総理は講和条約。鳩山総理はソ連との講和。岸総理は安保批准。池田総理は所得倍増。佐藤総理は沖縄返還。ただ、佐藤総理までのテーマはすべて戦後処理に関わっているように気がする。
ダラダラ起きて、1時半就寝。東京マラソン棄権後、いったん上向いた精神が、再度下降しつつある。