朝7時起き。朝飯にカレーライス。
9時半から作業。といっても、やることがなくなったので、漫然と研修をこなしたりする。
昼、走りに行く。浦安橋を渡り妙典方面へ。行徳街道を折り返し、浦安の『さかえや』でゴール。12キロ。
『さかえや』でおはぎを買い、東西線で帰宅。昼飯に月見うどんをささっと作って食べる。
午後、午前中と同じく漫然モード。
おやつに、買ってきたおはぎを食べる。粒あんと枝豆あんを買ったのだが、粒あんがものすごく美味しかった。
夜、ほうれん草と卵炒め、とろろ芋味噌汁、鰺の干物、トマトとアスパラのサラダを作って食べる。
8時半まで母と雑談。
9時に実家を出る。大手町まわりで10時過ぎ帰宅。
ハン・ガン『別れを告げない』読む。
先週金曜に『菜食主義者』を読み終えた。突然肉を食べなくなったヨンヘという女性を、夫、義兄、姉の視点で描いた三つの短編集だった。
『別れを告げない』の主人公キョンハは、済州島事件のことを調べてから夢を見るようになったが、『菜食主義者』のヨンヘが肉を食べなくなったのは、不気味な夢を見るようになってからだった。
また、キョンハの友人インソンは元ビデオアーチストで、キョンハが見た夢を映像作品にしようとするのだが、ヨンヘの義兄もビデオアーチストで、ヨンヘを素材にビデオ作品を撮影する。
これらの登場人物には、ハン・ガン自身が投影されているのではないだろうか。夢を見るということと、そのイメージを形にするということは、ハン・ガンが小説を書くということと共通している部分があるはずだ。両作品の刊行年は15年以上離れているが、登場人物達は別々の物語世界で、同じように惑うのだ。
ハン・ガンと同じように。その惑いは、読者の我々も巻き込んで同調させる力を持っている。
惑いを言葉にすると、「これは一体なんなのか」であると思う。
『少年がする』でハン・ガンは、光州事件を題材にした。ハン・ガンは惑いながら書き、その作品を読んだ我々は思った。「これは一体なんなのか」
『別れを告げない』では、済州島四・三事件を題材にしているが、光州事件よりもさらに犠牲者が多く、韓国においてタブーにされてきた長い時間があるため、惑いはより深く強くなっている。
読み始めたばかりだが、ページをめくる手が重い。酸鼻な描写があるわけではないのだが、すいすい読んで納得することを、作品が拒絶してくるかのようだ。