子供のプレゼント選び

朝、7時半起き。朝飯に昨日作ったサンドイッチ食べる。

稽古場へ。「夢想」全体は弾けるようになった。6月まで練習は続けるが、それだけじゃ飽きるだろうとのことで、新しい課題のスコアを借りた。

午前中、どさん子ツール改修。コードの確認をする。メインの改修を済ませてしまえば、動作的には堅牢であることが確認できた。

ふるさと納税の米が届いた。精米したての米が10キロ。無洗米。米は生ものなので、開封したら一ヶ月で食べてくださいと書いてあった。米がそういう扱いになったのは最近のことだ。学生の頃なんかは、米は保存食という感覚で、米びつに入れたら湿気や虫食いに気をつけつつ、半年くらいは余裕でもつという感覚だった。実際、一年以上経った米だって、余裕で食っていた。今でも余裕だ。その代わり、時間が経った米はちゃんと研ぐ。

昼飯に、小松菜、ごぼう、大根、油揚げの味噌汁を大量に作って食べた。それとサンドイッチ。

午後、ミーティング参加。

夕方、五日市街道を吉祥寺の中央線鉄橋まで走った。戻りはJR沿いに西荻を通り、神明通りを五日市街道へ。11キロ。

夕飯に、サンドイッチ、味噌汁。サンドイッチは、卵サンドをあらためて作った。

夜、映画をつまみ見る。こういう味方は邪道だと思うが、配信系で見ると続きから見られるので、つい、やってしまう。

親友のお子さん向けにプレゼントを買った。教育系おもちゃというものに一瞬惹かれたが、自分が子供だった頃のことを思い出せば、そんなおもちゃの能書きは全部嘘八百だとわかる。おもちゃで東大行けるようになるわけないだろう。

で、そこそこ熱中できそうなおもちゃを買った。今のオレもやりたいやつ。パパママも一緒にできて、一人でも遊べるやつ。

以前、後輩のシングルマザーさんに、一年間毎月絵本を送ったことがあった。ひと月に2冊と決め、通販を見たり本屋に行ったりしながら、硬軟様々な本を選ぶのは、本当に楽しかった。こっちから勝手に送り、一年経ったら勝手に送らなくなったので、彼女は困惑したかもしれないが、延々送り続けると、恩着せがましさが強まるだろうと思った。で、キリのいい一年で、ピタリと恩知らずっぽく、送るのをやめた。今は再婚し、ハッピーウエイトになっとるみたいだ。元気でなにより。娘ちゃんも元気なら追いなにより。

おもちゃ探しをしていて、その時のことを思い出した。単純に、子供に何かプレゼントを買うのは楽しいのだな。

しかし、甥っ子1号2号3号の三製品たちには、過去、プレゼントをあげたことがない。両親とダブル祖父母による、節目節目のお小遣いとプレゼント雨あられ環境があるためだ。そこに、プレゼントは足したくなかった。赤の他人のシングルマザーさんに、娘ちゃん用の絵本を買う方がしっくりきた。

いや、甥っ子たちが嫌いというわけではない。それぞれ、四つ足で這う豆人間だった頃から見ているし、大きくなった現在、三者三様の人生を歩んでいるのも、まことに興味深い。

先週実家に帰ったとき、母から例によってスマホの操作がわからない系の頼み事をされ、母のiPhoneを見た。自分で撮った写真の見方がわからないというので、こうやるんだと教えながら、撮った写真を指でスクロールしていると、サムネイルの中に、最近撮られたと思われる、甥2号の写真があった。2歳になる娘を抱いていた。見た瞬間、おや? と思った。顔から険が消えていた。

2号は、昔から気になる甥っ子だった。1歳の夏、母親が深夜の時間帯に職場復帰したため、週に何日か、オレの実家に預けられていた。夏だった。預けられた夜、彼は延々と烈しく夜泣きをした。還暦を過ぎ、なお働いていた父は、睡眠不足で疲弊し、泣き止まぬ2号を部屋に閉じ込めようとまでした。母はそれをとめ、2号を抱っこして外に出て散歩したが、それでも泣き止まなかった。

とにかく、彼は徹底的に泣き止まなかった。あの烈しい夜泣きは、いったい何によるものだったのだろう。肉体的な快不快や、精神的な寂しさに由来するものではなかったような気がする。むしろ、大人たちの矛盾やさもしさを、決然と糾弾する手段としての、夜泣きだったのではないか。もっとも、それが何なのかはわからないから、泣き止ませることもできなかったわけだ。

それからだいぶ経って、実家に2号が一人預けられていたことがあった。両親や兄弟が山登りに行ったのだが、自分は行きたくないから行かなかったと彼は答えた。その時、彼の中から何か荒涼としたものの気配を感じ、少々案じたことを覚えている。しかし、今思えば、その時荒涼としていたのは自分の方で、勝手に投影していただけだったろう。

それでも、日々、娘を注意深く育てている、今のところ彼の人生は、烈しく夜泣きした日々に対する『逆復讐』のように思えてくる。顔から険がとれ、穏やかになったのは、誰が見ても良い変化だが、それは彼が自分の人生において落とし前をつけながら獲得した境地であるのだから、よそからやいやい言うのは野暮だろう。かわいいかわいい娘ちゃんに、世界一大好きなパパと慕われている彼の幸福は、彼だけが享受するべきものである。邪魔してはいけない。