『サブスタンス』見る

朝6時起き。ベランダの植木に水をやる。プランターの小松菜が順調に育っていた。うちの小松菜はカブラハバチの幼虫によって葉が穴だらけになってしまった。実家はマンションの6階で、虫がその高さまで飛んでこられないのはいいのだが、風が強いため、弱い苗は折れ曲がって枯れてしまう。

柿の葉がボロボロになっていた。強風に煽られて柵や塀に当たったせいだろう。

チューリップの球根を掘り、柿の剪定をした。

朝飯に、ご飯、鰺、大根おろし。

母、富山にいる幼なじみから送られてきた食材の話をする。山菜のぜんまいなど、とても美味しかったという。

その幼なじみにお返しを送らなくてはいけないと母は言った。錦松梅みたいに、自分では普段買わないようなものはどうかとアドバイスすると、お返し選びは面倒くさくてストレスなので、早く決めたいという。大切な幼なじみに送るプレゼントをそういう気持ちで決めるのはどうかと思ったので、デパートなどへ行き、楽しみながら選んで決めれば、相手は何もらっても喜ぶはずだし、逆に、イヤだなあ早く決めなきゃと思って決めたプレゼントは、何贈ってもぱっとしないはずだと答えた。

10時半、走りに行く。昨日決めた通り、清洲橋通りに向かって走り始めたが、数百メートルで息苦しくなったので、止まって心拍数が下がるのを待ち、再び走り、また息苦しくなって止まった。

走っては止まるを、葛西橋に着くまでに5回くらい繰り返した。これは、体重が増えているということだろう。

葛西橋を渡り、すぐ右折して清洲橋通りへ。そのあたりでやっと普通に走れるようになってきた。

あとはひたすら通り沿いを進んだ。江東区を横断し清洲橋を渡り、人形町や小伝馬町界隈を北上し、昨日行った『想兵衛』の手前で佐竹商店街に入り、店の写真を撮った。ちょうどお昼時で、店は満席だった。その時点で実家からの走行距離はちょうど10キロだった。往復20キロコースにぴったりの地点であることが判明した。

ストーカーみたいなことをしてると思い、バレずに離脱し、春日通りの交差点を渡って住宅地を北東に向かって折れ曲がり、途中、ポカリスエットを買って飲み、田原町のあたりで浅草通りに出た。三社祭の三日目だったが、神輿はそのあたりにはいなかった。たぶん雷門通りあたりを練り歩いているのだろう。行ってみようかと思ったが、遠目で見てもそのあたりは混雑しているのがわかったので、ランニング途中で寄るのはしんどいと思い、やめた。雰囲気だけ感じられたのでよしとする。

駒形橋を渡り、住宅地を南東方向に折れながら走った。錦糸町の西側からJRのガード下を抜け、京葉道路を渡り、四ツ目通りを渡り、新大橋通りを渡り、小名木川を渡った。そのあたりで走行距離が20キロになった。足がかなりダルかった。北砂の住宅地を南東へ折れながら走り、清洲橋通りに出た。旧葛西橋跡の船宿前にある自販機でトマトジュースを買って飲んだ。

葛西橋を渡り、そのまま進んでイオン前を通り、小島町団地の通りを抜け、ウエルシアでSAVASのプロティン飲料を買い、実家近くでゴール。走行距離は23キロちょっとだった。先週28キロ走ったときより疲れていた。

実家に帰りジャージを脱ぐと、シューズが汗によって濡れているのがわかった。

シャワーを浴び、体重を量ると、それだけ汗を流したのに、水曜日より800グラム増えていた。

半袖短パンに着替え、『ベルクス』へ買い物に行き、夕食の食材を買った。ねぎ、春菊、しいたけ、焼き豆腐、しらたき、牛肉。

実家に戻ると母がスポーツジムから帰っていた。

5時頃に米を研ぎ、6時に炊けるようタイマーをセットし、炊けた時に出来上がるタイミングですき焼きを作った。冷蔵庫に瓶の割下があったのでそれを使った。肉は安物だったが、慎重に熱を通して、あまり固くならないようにしたら、美味しく仕上がった。

食後、昨日もらったスパークリングワインを飲んでいると、母が、スポーツジムの人たちと旅行に行く話を始めた。以前そのメンバーで秋川渓谷に行ったら、料理が冷たくてガッカリしたという。続けて実家マンションの管理組合の話になった。同じ階にいる男が勝手に母を会の代表に選出したとか、今年に入って死んだお年寄りが何人かいたが、管理人に聞いても教えてくれないという話だった。

不意に、隣人の男や管理人に対して怒りが湧いた。心がリラックスして無防備な状態の時に、不満や文句を聞いたからだろう。

心が無防備であった理由は、長い距離を走った後に、買い物に行ったり、すき焼きを作ったりしたからだ。これは母に頼まれてやったことではなく、どんなに疲れても今日はすき焼きを作ろうと決めていた。で、まあまあ美味しくできたので、ほっとしてワインを飲んだら、一気にリラックスして、心の防御力がゼロになっていた。そういう時に、何々が不味いとか、誰それがこんなイヤなことをしたという話を聞くと、普段の数倍ストレスを感じた。

8時前に実家を出た。

TOHOシネマズ新宿へ。9時10分から映画『サブスタンス』を見た。シネマイレージのポイントがたまったので、チケット代はタダ。しかし、過去を思い出すと、何度かポイントを貯めては、タダ状態を満たしているはずなのに、一度も活用していなかった。チケットを買うとき、一般で買う癖がついており、ポイント購入の選択肢を選ぶ習慣がついていなかった。過去、それで何本分損してきたことか。

冒頭、卵に薬剤を注射すると、卵黄が分裂する映像。その後、エリザベス・スパークという女優の名が、ウォーク・オブ・フェームみたいな星形プレートに刻まれるシーンがあり、カメラがプレートを写し続けるうちに時が流れ、プレートが古びていき、その上を歩み去る人々の声で、彼女も忘れられていったことが示される。

直後、そのエリサベスのエアロビシーン。ジェーン・フォンダのワークアウトみたいに、元気いっぱいにレオタード姿でエアロビをするエリザベス。そういうレギュラー番組を持って久しいらしい。しかし、録画が終わったあと、ひょんなことからトイレで、番組プロデューサーがエリザベスを降ろして若い女性で新番組を作ろうと思っていることを知る。エリザベスは愕然とし、自分が必要とされなくなりつつあることを意識する。暗い気分で車を運転していると、町に貼ってあった自分の番組の巨大ポスターが、今まさに剥がされようとしている現場を見てしまう。それでよそ見したためか、車は横から追突を受け、彼女は病院に運ばれる。

惨めな気持ちで治療を受ける彼女だったが、怪我はなかった。しかし、帰る前に、若い男性看護士が最後のチェックと言って、背骨を綿密に触診し、彼女は完璧な条件を備えていると伝え、メモリーカードを渡す。その中は、若くて美しい自分を手に入れることができる、SUBSTANCEの宣伝が入っていた。

あとは、葛藤ののちエリザベスはSUBSTANCEを入手し、若い肉体を手に入れるが、色々あってままならなくなり、最後は破滅するというお約束展開である。『笑ゥせぇるすまん』や『世にも奇妙な物語』でもありそうなストーリーだ。しかし、撮り方が刺激的だったので、マンネリ感はなく、面白かった。

SUBSTANCEを摂取すると、自分が若くなるのではなく、母体となってまったく別の若い女性が分裂してできあがるというのが面白かった。もう一人の自分が起きている時、自分は仮死状態で、自分が起きている時はその逆。その交代は必ず七日間ごとに行われ、過ぎると仮死状態の肉体に障害が出てしまう。

分裂して誕生した若い女性を演じたのは、マーガレット・クアリーで、彼女はエリザベスが降ろされたあとに始まる新番組のオーディションを受け、自分の名前をスーと名乗る。プロデューサーは彼女を採用し、新しいワークアウト番組が始まる。番組は、スーの尻や胸や腰が動くさまをアップで撮影しており、ドラゴンボールの亀仙人が夢中になって見るたぐいのものになっていた。

ありそうなストーリーから逸脱するのは、ラスト前の数十分だった。破滅は破滅だが、そのありようが、世の中のルッキズムに対して、これでも食らいやがれ! という、強烈無比な一撃になっていた。そいういう意味では痛快な場面で、かわいそうというよりは、やったぜと喝采したくなった。そして、一撃をかました後の彼女がたどり着いた場所が、いじらしくて泣けた。

11時45分にビルを出た。その時間でも歌舞伎町は賑わっていた。コロナ前より人が多くなったように感じた。外国人が増えたからかもしれない。

12時半帰宅。瓶に残った安ウイスキーを、冷蔵庫に残ったコーラで割って飲んだ。

『サブスタンス』の監督コラリー・ファルジャはフランスの女性監督らしい。デミ・ムーアが最初にサブスタンスを注射するシーンで、彼女はヌードになっていたのだが、全然イヤらしくなく、裸でいることが自然だった。そして、彼女から分裂するマーガレット・クアリーもヌードで登場するのだが、そのシーンも美しかったがポルノ的ではなかった。そういう裸の撮り方ができるのは女性だからだろうか?

マーガレット・クアリーのシーンは、裸の場面よりも、オーディションや番組シーンの方がよっぽどイヤらしかった。コラリー監督が女性の目で男性のエロ視線をなぞり、あえて俗悪ポルノ的に撮ったということだろうか。

しかし、さすかにあそこまであからさまに扇情的な番組はないだろう。その番組で全米の人気者になるという設定だったが、いくら何でもアメリカ人全体がそこまでバカエロ国民であるはずはない。が、あえて戯画化してそういうふうに描いたことで、ラストの強烈無比な一撃が効いていた。

マーガレット・クアリーは、イーサン・コーエンが監督した『ドライブアウェイ・ドールズ』で、メイン二人組の一人だったと知った。まったく気づかなかった。『ドライブアウェイ・ドールズ』の彼女は、かわいいとか美しいとかいう印象がなかった。

そういえば、コーエン兄弟の映画は、全作品を思い返しても、女優の美しさを全面に出して撮った場面がほとんどない。『ヘイル、シーザー!』の、水中バレエシーンくらいか?

『サブスタンス』のマーガレット・クアリーの場面は、美しさを全面に出すというより、美しさの取り扱いをこの女はどうするのか? という撮り方になっていたように思う。プロデューサーと話すときの笑い方などは、おそらく、欧米型あざとさ、なのだろう。

2時過ぎ就寝。