もののけ姫やっていた

朝5時半起き。
外はいい天気だった。

ごく軽くジョギング。
3キロ弱。
ハンガーノックと同じ状態で、足が重かった。
スマホで写真を撮ったりしつつ、止まりながらゆっくり走った。
いったん止まってから走ると、エネルギーが補充されていて、走るのが少し楽になったが、少し走るとまた辛くなった。
途中から滝のような汗が出はじめた。
2.6キロ。

暑かった。
気温は35度くらいまでいったようだ。

昼、無人になった団地の植え込みで、大きい芋虫を見つけた。
写真に撮り調べる。
スズメガの幼虫だった。

夕方、北参道駅から中目黒へ。
岳志客演の舞台観劇。

ロープウェイのゴンドラが止まってしまい、twitterに爆弾予告が投稿されることで右往左往する乗客の物語だった。
舞台は長いすを3つ置いただけの簡素なもので、ゴンドラと言うよりはどっかのビルの1階にある休憩スペースのようだった。
芝居の開始から爆弾予告まで、30分近くかかっていた。
開始5分くらいにしないとだれる。
面白い台本だが、リズム作りに失敗している感があった。
岳志は教師役だったが、台詞のとちりが数回あり、落ち着かない感じだった。

終演後、岳志と挨拶。
アドバイスを4点まとめて伝える。
前回のマグ不足からずっと心に引っかかったこともあったので、言えて良かった。
役に立つといいんだけど。

新都心線ができたので、中目黒から新高円寺まではすぐだった。
10時帰宅。
シャワーを浴び、テレビでやっていた「もののけ姫」を見る。
宮崎駿作品の中で一番好きな映画だ。

人と森は共に生きられるか?
どこまでも議論が続いていき、明確な答えは出ない哲学的なテーマだ。
だが、人が森を開墾したのは生きるためであったし、人口を養える安定した社会を築けたからこそ、人と森の共生という思想が出てきた。
だからアシタカのような存在は現実にいるはずはない。
それゆえに、宮崎監督の理想主義者としての部分がとても強く反映されたキャラクターになっている。

いるはずがないのはエボシさまも同様で、20世紀の人間がタイムスリップしたとしか思えない。
でもそこは虚構だから、そういう人物を配置することで、アシタカの葛藤はより深まるのだ。

「もののけ姫」の観点で見ると、「紅の豚」のポルコ・ロッソは自然破壊者だ。
でも、ポルコ・ロッソも宮崎駿の分身なのだ。
監督自身の内部にも、矛盾し、相反するものがあるのだ。

アシタカの心理がどのように変化していくのか注意して見れば、実に分かり易い映画だ。
彼ができたのは、シシガミに首を返すことだけだった。
散々頑張ったのに、そのくらいしかできることがなかったというのが、この映画の結論だと思う。
歴史的に考えれば、たたら場はこのあと強力な戦国武将の支配下に置かれるか、解体されるだろう。
森は開墾され、もののけ達は姿を消し、何もかも忘れられる。

それがわかっていても、苦悩し葛藤することをやめてはいけない。
生きろ、とはつまり、そういうことも言っている。

地デジはDVDより画像がきれいだった。
オレがジブリアニメで一番好きなキャラクターは、ジコ坊だ。

「いくさ、行き倒れ、病に飢え。人界は死んだ亡者で恨みを飲んでひしめいておる」
「椀を出しなさい。まず食わねば」

これもつまりジコ坊による、生きろ、なのだ。

YoutubeでUWFの前田vs船木戦を見て、1時過ぎ就寝。