釣りに行きたかったのだが、天気予報を見ると今日明日は雨だった。
昼、高円寺の上州屋へ。
小雨だった。
阿波踊りの場所取りをする人がいた。
ロッドやルアーを眺め、結局何も買わず。
帰りに「タカノ」でうまにそばを食べて帰宅。
走る代わりに風呂にゆっくりと浸かって汗を流す。
夕方、新宿へ。
VELOCEでコーヒーを飲む。
一週間カフェイン断ちをしていたためか、すごく美味しく感じた。
カイロに寄りストレッチをし、高円寺で阿波踊りを少し見て帰宅。
コント55号をYoutubeで見る。
日本舞踊の師匠ネタがアップされていた。
14年前の映像だが、萩本欽一は今とあまり変わらない。
若いのではなく、そのままという感じだ。
萩本欽一のすごさは、老いに対する無頓着さ、よく言えば無邪気さにあるのかもしれない。
大学に入学したことについても、アンチエイジング志向をまるで感じさせないところが、逆にすごい。
お笑いの大御所たちがそれぞれ還暦を過ぎ、引退を示唆する発言をしたりしなかったりする中、大御所たちよりさらに上の世代にある萩本欽一は、そうした発言をまったくしない。
若手やライバルを貶したこともない。
自分を大きく見せようと虚勢を張ることもない。
我々世代には、萩本欽一に対するアンチテーゼとしてのビートたけしで育ってきた人が多い。
ロジックの笑いを好む若い頃、たけしさんや松本人志の言葉が麻薬のように脳の隅々まで染み渡る経験をしてきた。
そんな中、欽ちゃんはおのれの芸について論理的な説明をしなかった。
90年代からゼロ年代にかけては、第一線を退いた人という印象があった。
長野オリンピックの閉会式に登場した欽ちゃんを、ナンシー関は酷評していたが、実際、批判されても仕方ない痛さがそこにはあった。
ただ、欽ちゃんのユニークさは、おのれのキャリアを独自の運理論で分析しているところにある。
自分に運があるのか、あるとすればどのくらいか、ないとすれば他の誰に運があるのか、そうして集めた運でどのような勝負ができるか。
ギャンブラーの考え方だと思う。
そして、こうした考え方でキャリアを築いていった芸人は、それほど多くない。
ギャンブルという視点で考えれば、運が回ってこない時にジタバタしても無駄である。
そういう意味では萩本欽一が芸風を変えずに何十年もやってきた理由は、保守性でもマンネリズムでもなく、ただ彼がギャンブラーだったからということになるだろう。
長野オリンピックのパフォーマンスを「キャリアの失敗」ではなく「運の枯渇」ととらえる感覚の背後には、浅草で練りに練った盤石の軽演劇スキルがあり、それは運とは関係のない次元に存在している。
ふしぎな人だ。
大御所どころか、西川きよし師匠のことを「きよしちゃん」と呼ぶレベルの、いわば「超御所」なのに、芸人のヒエラルキーから外れたところにいる。
そして大学に通っている。
萩本さんのツッコミを愛するいちファンとしては、今の運を何に使ってくれるのか、はなはだ興味がある。